2015年 12月 の投稿一覧

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旧正丸峠から刈場坂峠へ(峠歩きの景色)

今回の<峠歩きの景色>は奥武蔵の定番の峠です。季節は12月。今から12年前になりますが、タイムスリップしてみましょう・・・。


【年月日】2003年12月
【コース】正丸駅→正丸峠→正丸山→旧正丸峠→サッキョ峠→虚空蔵峠→刈場坂峠→高麗川源流保全之碑→正丸駅


1
正丸駅前右手の階段を降り、西武線のガードをくぐって大蔵山の集落に入る。
今日は、この冬初めての本格的な寒波が到来しているという。案の定、集落の中を歩いていると粉雪が落ちてきた。今年も秩父で初雪だ。去年は刈場坂峠だった。その時は1ヶ月も早かったけど・・・。
馬頭観音の分岐では、左手に伊豆ヶ岳の道を見送って右手に向かう。大蔵山林道と名付けられた車道もこの付近で終わり。
更に右手に正丸峠ガーデンハウスの道を見送り、あとは沢をツメていく。最後の急な階段を喘ぎながら登れば、正丸峠の茶屋の裏手に出る。
いつの間にか粉雪も止んでいた。
2
(車道が超える現在の正丸峠)
茶屋でひと休み後、車道向こう側の階段を右上に上って、いよいよ尾根歩きの始まりだ。
正丸峠展望台、正丸山、川越(かんぜ)山とピークを結んでいく。頻繁に上り下りを繰り返し、特に丸太の階段が辛い。かなり体力を消耗する道だ。
そんな道でも何組ものご年配のハイカーさんとご挨拶する。皆さん、お元気だなぁ。
3
(写真:尾根は手前南から降りてきて、正面北の階段を登る。)
階段を急降下して、ようやく旧正丸峠に着く。駅から約1時間半、ホッとひと息。峠を見渡すと、東西の峠道への降り口はハッキリと残っている。
4
(写真:綺麗な鞍部を残している峠は良いものだ。東側から撮影。)
この旧正丸峠、昔は「小丸峠」とか「南沢峠」とも呼び、「秩父峠」の名もあったそうだ(※1)。江戸時代には、秩父と江戸を結ぶ最短距離の道として、秩父の絹を積んだ馬が列をなして峠を超えたという(※2)。秩父を結ぶ代表的な峠だったのだ。
5
(写真:「サッキョ」とは狭(サ)尖峰(キ・ヲ)峠の転化と想像してみた。)
続いてサッキョ峠。2万5千図には峠道共々に記載が無い。現地でも標識がないと通り過ぎてしまいそうだ。
峠道の痕跡も良くわからない。どんな峠だったのだろう?
帰宅後、たまたま60年代の紀行文(※4)を読んでいたら茶屋の描写があった。こんな狭い尾根上にあったなんて、お店の人も毎日大変だったでしょうに。それとも昔は道幅が広く、それは車道開通と関係があるのだろうか?
7
サッキョ峠から少し歩くと東側が開けた。飯能方面の展望が良い。国道299号線だろうか、眼下に車道が僅かに見える。
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虚空蔵峠では、草むらの脇に、ワンカップとお賽銭が供えられた虚空蔵菩薩様が鎮座している。ただし石嗣の銘板は現代のものだ。新しい母屋にお引越ししたのかもしれない。
昔、西の中井の集落の人たちは炭焼きで生計を立てており、峠を越えて越生方面へ炭を運んだそうだ(※2)。当時の人もきっと手を合わせことだろう。自分も旅の安全を祈って合掌する。
9
虚空蔵峠の歴史は古い。昔は秩父出身の防人たちが越えたそうだ。
そして旧正丸峠は主に中世以降によく利用された為、最古の正丸峠は、実はこの虚空蔵峠を指していたという説がある(※2)。従って、先の小丸峠、南沢峠、秩父峠などの別名も虚空蔵峠を指していたとも推察出来る(※1)。
また「秩父誌」によると「二子峠」と呼んだとも。恐らく芦ヶ久保にある二子山付近を通る峠の意味と思われている(※2)。
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林道を数分歩き、道標に従って左手から再び山道へ足を向けよう。
途中で写真のような辺りが開けた一帯に出るが、実は昔、スキー場があった場所らしい。興味深いので参考文献(※3)より纏めてみた。
西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が昭和4年に飯能−吾野間を開通させたが、不況の影響で石灰岩の輸送が減り、経営不振となる。その打開策として、沿線の山々を「奥武蔵」と名付け、ハイキングの宣伝に力を入れた。そしてこの地を「奥武蔵高原」、無名の草刈場の入会地だった一帯を「刈場坂峠」と命名し、冬場の客足対策として「奥武蔵スキー場」をオープンした。しかし大雪だった昭和11年の1年間だけは盛況だったものの、その後の積雪はゼロとなり、結局、営業も中止となってしまったというのだ。
スキー場もさることながら、「奥武蔵」そして「刈場坂峠」と命名したのが鉄道会社だったとは意外な事実だ。
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牛立久保からの登りが最後のピークだ。
北側が大きく開け、はるか遠くの市街地までが良く見渡せる。
ピークから降りたところが終点、刈場坂峠。
鉄道会社が命名する以前、この峠は何と呼ばれていたのだろう?
12
峠には無人の茶屋があり、車が1台止まったきりの閑散としたもので、長椅子の列が寂しそうだ。昨年は確か店の人がいたはずだが・・・、時期の問題だろうか?
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これにて本日の峠巡りも終了。あとは林道を下って正丸駅に戻るのだが、遠回りになるので途中で谷へ降りて近道をしよう。
道標はないが、林道を歩き始めて2、3分、写真のような電柱の間へ下る小道が左手にある。刈場坂の集落からの昔の峠道だと思われるが如何だろうか。
集落の人たちは峠を越えて越生方面まで米などを買いに出かけたという(※2)。秩父は、荒川を利用して農産物がはるばる輸送されてくるため値段が高く、その点、越生の方が安くて種類も豊富だったそうだ(※3)。
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道はハッキリしていて迷うことは無い。沢山の切り倒された丸太にビニール紐が結んであり、切り株にも番号のついたシールが貼ってある。現在は林業の人が使っている道なのだろう。
谷底に出るまでは散乱した小枝が足に絡まり少々歩きにくい。それでも谷につけば、チョロチョロと水の音が聞こえ、そのまま降りると沢沿いに合流する。結構楽しい道だ。
入り口から30分ほど歩けば再び林道に合流。1ヶ月前(2003年11月)に建てられたばかりの真新しい「高麗川源流記念之碑」の脇に出る。あとは林道をひたすら下り、車の排気ガスを我慢しながら国道299号を歩いて、1時間で駅に到着だ。
いやいや、奥武蔵の峠は奥が深い。まだまだ分からないことだらけだ。機会があったら昔の地誌をじっくりと調べてみよう。


(参考文献)
(※1)「峠道 その古えを尋ねて」(直良信夫著 校倉書房 1961年)
(※2)「山村と峠道」(飯野頼治著 エンタプライズ 1990年)
(※3)「増補ものがたり奥武蔵」(神山弘、新井良輔著 金曜堂出版 1984年)
(※4)「忘れられた峠」(内山雨海著 池田書店 1961年)
・コースガイドは「新ハイキング 2002年11月 No.565号」(新ハイキング社)を参考にした。

古いロードバイク買取/ラピエール スペシャル・ツール・ド・フランス 1970年頃?

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東京都のお客様より1970年頃のLapierre の”Special Tour de France”を無料出張にてお譲り頂きました。有難うございました。
フレームを入手されて以来、年代に合うようにパーツをコツコツ集められ、1年かけて完成された逸品です。
サイズはC-Tで約510ミリ。ヨーロッパ製のため大柄なサイズが多い中、小さなサイズは貴重かもしれません。
防犯登録も最寄りの自転車店でお客様にて抹消手続きを頂きました。お手数をおかけいたしました。
ちなみに他店様の最低見積価格は弊店の約1/4だったそうです。買取価格としてもご満足を頂きまして、弊店も嬉しく思います。
1-3センタープルのブレーキはCLB レーサー。ブレーキシューはデッドストック品を装着。
シフトレバーはユーレーのジュビリー(バンド止め)1-4 フレームはレイノルズ531。マーク付。1-5 ギアクランクはストロングライト93。52☓42T、170ミリ。
Fメカはユーレーのアルビー。
ペダルはリオター、タイヤはコンチネンタルのGIROです。
1-6 リアメカはユーレーのアルビー。ホイールはMavic Monthrely Pro、36H。1-7消えかかっておりますが・・・、「スペシャル・ツール・ド・フランス」の文字があります。

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その他
・ヘッドセット/BB:カンパーニョロ ヌーボレコード。
・ハブはマキシカーのショートフランジ。
・ステムはATAX、ブレーキレバーはCLB。
・シートピラーはサンプレックスのバッヂ付。
・サドルはサンマルコのロールス。
以上となります。
この度はお譲り頂きまして、どうも有難うございました。


三月銀輪館では昔のロードレーサー、現行のロードバイクなど、皆さまの大切な自転車を高価買取させていただきます。
お問い合わせはフリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)または三月銀輪館のサイトよりお気軽にご相談下さい。お待ちしております。

信州 小熊黒沢林道(サイクルツーリングの記憶)

今回のサイクルツーリングの記憶は、年代もすこし新しくなって、今から8年前の記憶です(それでも8年前です、ごめんなさい。)
今と路面事情等も違うでしょうが、当時の記憶を紐解いてみましょう・・・。


【 年月日 】 2007年5月
【 ルート 】 JR信濃大町駅−信濃木崎駅前−小熊黒沢林道−r325−信濃木崎駅前−JR信濃大町駅
【走行距離】 約40キロ
【 車 種 】 ランドナー


以前、神田のスポーツサイクル・アルプスの店内に飾られていた、雄大なパノラマ写真。
ご主人曰く、残雪と新緑が楽しめる5月の第三週がベストシーズンとのこと。
でも、この数年、仕事が多忙で第三週はおろか、GWも満足に休めなかった。
「今年も行けなかったです」とご主人に伝えるのが、毎年の恒例行事になりつつあった。
そうこうしているうちに夜行アルプス号が廃止、そして何とアルプスまでもが店を畳んでしまった・・・。
去年(2006年)、この相棒の色を塗り替えてから、まだ何処にも連れ出さないでいる。
そして、今年のGWは休めそう。
3年ぶりに乗る相棒。新たな気持ちで再スタートを切るには絶好の場所だ。
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夜行列車ムーンライト信州81号に乗るため、夜の新宿駅へと向かう。
今回は久々のフォーク抜き輪行。GW中の為、帰りの混雑で邪魔にならないよう、なるべくコンパクトにしたかった。
輪行袋はALPSオリジナルの超軽量タイプ。IMG_0004
信濃大町駅には5時過ぎに到着。
駅前にはタクシーが列をなしている。
5時40分過ぎに出発。国道もこの時間は車は殆ど通らない。
<ゆーぷる木崎湖>から林道を目指す。IMG_0006
登り始めていきなりギアをローいっぱいへ。
しかも、期待の絶景は、なかなか姿を見せてくれない。
とにかく我慢、我慢。
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綺麗な白樺林。
さすが信州という風景だ。
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やっと出会えた。この景色を待っていたのです。
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北アルプスを望む、壮大な山岳展望。IMG_0019
カーブを曲がったら、突然目に飛び込んできた。
思わず声が出てしまう。
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写真を撮りながら進むので、なかなか前に進まない(笑)。
この写真はお気に入り。
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写真はシーズンオフのサンアルピナ鹿島槍スキー場。
黒沢から鹿島川を渡り、県道325号を南へ。IMG_0034
長閑な田園地帯を下り基調で信濃木崎駅方面へ。
道路沿いには馬頭観音様を見かける。


夜行列車では一睡も出来なかったので、そろそろ睡魔が襲ってきた。
本当は温泉に浸かって一息いれたかったが、ここで休むと絶対動けなくなると思い(苦笑)、一気に信濃大町駅へと走り抜ける。11時にはもう車中の人となり、すぐに熟睡となってしまった。
とにかく、念願が叶い、大満足の一日だった。


 

東京・馬引沢峠から旧二ツ塚峠、大荷田峠、満地峠へ(サイクルツーリングの記憶)

今回は冬の陽だまりを求めて、五日市付近の小さな峠へポタリング紀行となりました。
今から11年前のお話です。大きな写真が残っておらず、小さい写真でごめんなさい。


【 年月 】 2004年1月
【 ルート 】 JR宮ノ平駅−r45(吉野街道)−林道−馬引沢峠−旧二ツ塚峠−r31(秋川街道)−二ツ塚峠−大荷田川沿い−大荷田峠−大荷田川沿い−R411(滝山街道)−旧満地峠−古満地峠−R411(滝山街道)−JR小作駅
【 車 種 】 ランドナー


冬の休日はなかなか布団から出られず、何度目かの目覚まし音で時間を確認したら既に朝の9時。結局この日も昼からのサイクリングとなってしまった。

吉野街道の畑中3丁目付近から見当をつけて脇道に入ると、林道が延びている。所々に簡易舗装も施してあるも、沢に沿った雰囲気の良い道だ。せっかくなので途中からノンビリと歩いて峠を目指した。
ところで馬引沢(まひきざわ)峠の「マヒキザワ」とは、「蟇沢」に接頭語マがついたという説がある(※1)。なるほど、林道の中では蛙の合唱が今にも聞こえてきそうだ。
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やがて峠に到着。南側の大久野へ下る道、すなわち写真正面のフェンスの先は大規模な産廃処理場があり、残念ながら道は消滅している。
なお鎌倉街道は榎峠から軍畑を経て馬引沢峠を通ったという説がある一方、西の梅ケ谷峠の方だとも言われている(※2)。

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続いて旧二ツ塚峠へ。この峠には二つの物語があるのでご紹介しましょう。
一つは、峠名の由来とも言われる、母娘の悲しいお話だ(写真をクリック)。二人の塚の前に歩み寄ってみると、真新しい花束がお供えされている。今でも地元の人に大切にされている証だ。自分もそっと手を合わせる。
もう一つは、二体のお地蔵様、いわゆる「傘地蔵」のお話(※2)。残念ながらお地蔵様のお姿は見えなかったけど、それだけ土地の人に利用されていた峠であったのだろう。

ここで正直に告白すれば、馬引沢峠も旧二ツ塚峠も、先の処理場のお陰で、今まで訪れるのを躊躇していた。しかし確かにフェンスはあるものの落ち着いた良い場所であった。

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フェンス沿いの荒れた道を下り、秋川街道に合流。そのまま北上すれば旧京塚峠(※3)、現在の二ツ塚峠だ。
車の往来が激しく、カーブの途中で立ち止まって写真を撮るのが少々怖い。

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大荷田川沿いに入り、右手に病院をやり過ごし、やがて左手(北側)の橋を渡って「万場(ばんば)坂通り」という坂道に入る。農道開鑿記念碑もある道を上りきれば、切り通し状のピークに到着。ここが大荷田峠(※3)?だと思う。
右手に山道が延びていたので、ぐるっと探索してみると、小さな畑や、廃車などを見かけた。
このまま峠を下れば、万場坂バス停のある吉野街道に合流するが、今回は大荷田川沿いに戻って満地峠を目指す。

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古満地峠まで足を延ばすことにしよう。
滝山街道の友田方面から旧道に入り、左手の階段へ向かう十字路の分岐点から右(西)へ登るとT字になるので、右から回り込むように尾根を西に進む。程なくして、「古満地峠 ←友田 菅生→」と書かれた小さな標識が木に掛かっている場所に出る。
(写真左が旧満地峠、右が古満地峠)
その後、旧道を引き返し、薄暗くなってきた寒空の中を小作駅まで駆け込んだ。


(参考文献)
(※1)「五日市町の古道と地名」(並木米一著 五日市町教育委員会 1984年)
(※2)「日の出町の昔ばなし」(日の出町文化財保護委員会編 1982年)
(※3)「増補改訂 青梅市史」(東京都青梅市 1995年)

チタン&カーボンのロードバイク(マングース)を買取致しました。

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埼玉県にお住まいの方より、ロードバイクを出張買取させて頂きました。有難うございました。
フレームはチタン、フロントフォークはカーボンのこのモデルは、米国マングース社のロードバイクです。コンポーネントはシマノ105。
マングースといいますとBMXの老舗メーカーですが、このようにロードレーサーも発売しておりました。
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ところでシートチューブには、PIEA21のマーク。今は亡き「ヨコハマサイクリングセンター シマダ」さんのお店ですね。実は小職は訪れたことが無いのです。お客様からお店の昔話を伺って、閉店前に是非一度訪問したかったと悔やみます。
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1988年4月のサイスポ広告より。
エベレスト、トーエイ、ケルビム、三連勝、ロイヤルノートンといったハンドメイドビルダー車も取次。ショップオリジナルとしては、ロードレーサーが「エスポアール」、ツーリング車が「ギャルソンヌ」ブランドでした。
「シマダはいつもサイクリストのことを真剣に考えています」。この熱いフレーズの広告で是非一度行ってみたいと思っていたのですが・・・。

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こちらは「ニューサイクリング誌増刊 スペシャルメイドサイクル総覧」(1979年5月)広告より。熱気が伝わる写真ですね。
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三月銀輪館ではロードバイクを高価買取しております。
現行のロードレーサーから昔のビンテージモデルまで、フリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)または三月銀輪館のサイトより、どうぞお気軽にご相談下さい。

山梨・柳沢峠から犬切峠へ(サイクルツーリングの記憶)

今回のサイクルツーリングの記憶は、群馬 万騎峠・二度上峠に続いて、久々のロードレーサーです。
下のプロフィールマップをご覧いただくとお分かりになるのですが、最後がブスッと切れてしまっています。果たしてその訳は・・・。


【 年月 】 2003年11月
【 ルート 】 JR勝沼ぶどう郷駅−塩山駅前−青梅街道(柳沢峠)−一ノ瀬林道(犬切峠)
【走行距離】 約42ロ
【 車 種 】 ロードレーサー


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無人の勝沼ぶどう郷駅を8時前に出発。塩山から「青梅街道・大菩薩ライン」に入り、右手に大菩薩嶺を眺めながら登っていく。
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時間帯のせいか、交通量は思ったほどでもなく悪い道ではない。ただし直線気味の単調な登りが「大菩薩の湯」辺りまで続き、辛いところであるが、その後はようやく九十九折になる。
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街道脇にある介山記念館。今日はお休み?脇には『大菩薩峠』の主人公、机竜ノ助の像がある。そう言えば『大菩薩峠』、未だに完読していないなぁ・・・。

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10時半に柳沢峠に到着。標高は1,472m。
晴天ならば富士山も見えるようだが、本日は曇り空のため展望は望めずに残念だ。
峠は車やバイクで結構賑わっており、奥の駐車場では登山服姿の人も見かける。
茶屋ではアイスクリームを販売しているが、さすがに買う人はいないですね(苦笑)。気温は4度ですもの・・・。)

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そのまま青梅街道を下り、落合から北へ左折、高橋川沿いの一ノ瀬林道に入る。
標識に従って右へ分岐し犬切峠を目指す。たまに車が通る位の、少し寂しげな雰囲気の道だ。なお一ノ瀬一帯は東京都の水源林でもある。

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新犬切峠は三叉路になっている。
林道はそのまま北へ延びて(写真では奥へ進む)一ノ瀬高原をぐるっと周回する格好であるが、ここは進路を東にとり、旧犬切峠を目指す。

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程なくして旧犬切峠に到着?(写真は少々場所に自身がありません、ごめんなさい)。
ここは一ノ瀬と高橋を結ぶ峠道だ。

「イヌキリ」とは「往ぬ、きり」だと述べた方がいる(※1)。他にも「”イヌ”とは痩せ地のことで、そこを切りひらいた」(※2)という地形説もある。更に漢字にすると何やら曰くつきの名前になる。案の定、次のような伝承があるようだ(※3)。 「250年ほど前に、一ノ瀬の忠兵衛という男が塩山に穀物の種を買いに行った。帰り道、悪い狼が出ると言われている峠に差し掛かかると、足元に狼らしきものが迫った。忠兵衛は脇差を抜いて切りつけたところ、狼の尻尾だけ見つかる。以後、峠には狼は出なくなり、それ以来、犬尾切峠と呼ばれ、明治の地図作成時に切られた狼と同じように”尾”が無くなって犬切峠となった。」
この伝承にしても、先の「往ぬ、きり」説にしても、この峠を越えることが当時はいかに大変だったかということが伝わってくる。一ノ瀬高橋は山梨県の最奥地、その生活には並々ならぬご苦労があったことだろう。
それにしても犬かぁ・・・。何しろ、今までもサイクリング中に足首を噛まれたり、番犬に追いかけられたりと散々だからなぁ・・・。嫌な予感。(-_-;)

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峠からの下り道。
最初は綺麗な舗装路だが、じきにコンクリのガタガタ道なってしまい、雰囲気は良いが、ロードでは相当に厳しい。次回は林道を下って集落の方まで訪れてみよう。 IMG_0036q
ガタガタ道も終わり、ようやく舗装路に合流。青梅街道の「おいらん淵」の合流地点に向けて更に下っていく。
しかし、ここで嫌な予感が的中した。カーブの途中、草むらから飛び出してきた犬!を避けようとブレーキングしたところ、落ち葉でリアが滑って、ガードレールに激突。

うーむ、「犬切峠」だけに尻尾を切られた狼の祟りか、それとも「おいらん淵」に沈められたという遊女たちの呪いか・・・。ホイールが自分の身代わりになってくれたお陰で、体の方は小さな傷と打ち身で済んだのが不幸中の幸いである。

このまま歩いて帰るのか・・・と呆然としていたところ、運良く1台の車が通りかかる。笠取山帰りの親切なご夫婦だった。事情を説明し、ご好意に甘えさせて頂いて奥多摩駅まで乗せて頂く。(東京の○○様、本当に有難うございました。)

(参考文献)
(※1)「多摩」(米光秀雄、滝沢博、浅井徳正著 武蔵書房 1969年)
(※2)「日本山岳ルーツ大辞典」(竹書房 1997年)
(※3)「多摩源流を行く」(瓜生卓造著 東京書籍 1981年)・・・一ノ瀬高橋、丹波村、小菅村のルポルタージュ。お薦めです。

トーエイの650Bランドナーを出張買取させて頂きました。

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神奈川県にお住まいのお客様より東叡社のランドナーをお売り頂きました。1978年にオーダーされとのこと。有難うございました。
折角ですので一部ご紹介させて頂きましょう。
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フレームサイズは500ミリと、やや小柄な方向けのサイズです。その為にブレーキはギドネット使用になっておりますね。
左に探検ライト、右にダイナモからのライトの定番の仕様です。泥除けに線引あり。見えづらいのですが、ガードの先端に風切りとして、1ペニー硬貨を背負った豚のマスコットが付けられています。ドイツのお土産品でしょうか、可愛らしいですね(^^)
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ストロングライトのクランクとギア板。Fメカはカンパ。
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Rメカはカンパのヌーボレコード。
その他、ノルマンディーのラージハブ、イデアル90サドル、NISIのリム、マファックのカンチブレーキ等。
リヤタイヤとチェーンステーが接触しており、要メンテナンス車ではありますが、もちろん当店では喜んで買取させて頂いております。
貴重なトラディショナルなオーダー車を有難うございました。


オーダー自転車をご整理予定の方、ぜひ三月銀輪館へお気軽にご相談下さい。
フリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)のお電話でもOKです。
詳しくは三月銀輪館のサイトを御覧ください。

2015年「ツール・ド・フランス観戦塾」簡易レポート

今年も「さいたまクリテリウム」が実施され、チーム「ジャイアント・アルペシン」のジョン・デゲンコルブ選手が優勝したのは記憶に新しいところです。
余談ですが、ちなみにクリテリウムとは小さな周回コースを走り競うものです。昔はマファック社から「マファック・クリテリウム」というブレーキもありましたので、そちらでご存知の方も多いかもしれません。
さて、その前日イベントとして「「ツール・ド・フランス観戦塾」が開かれましたので、今回はその観戦記です。(店員Kより)


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J・ SPORTSオンデマンドでも放送されておりましたのでご存知の方は多いかもしれませんが、「さいたまクリテリウム」の広報イベントとしてレース前日に開催されました。

出演者はツール・ド・フランス司会としてお馴染みのサッシャ、栗村修の両氏を司会とし、ロードレースではいくつも優勝を経験した生きる伝説のベルナール・イノー、そして、翌日走行予定の新城幸也・別府史之選手、そして海外招待選手のクリス・フルーム、ホアキン・ロドリゲス、ロメン・バルデ、そしてジョン・デゲンコルブ選手となっています。
ちなみにイノーといえば、1985年のツールで落車して鼻を骨折、鼻血を出しての激走を、当時はNHKでダイジェストが放送されたこともあり、ご記憶の方もいらしゃるかもしれません。

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最初のイベントはイノー、新城、別府選手らによる来年2016年のツール・ド・フランスコースの解説です。
その中で新城選手は「来年は3つのグランツールすべてに出場してもよいと思っている」と発言していたので今から楽しみですね。
(※グランツール:欧州で開催されるプロレースでジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ブエルタ・ア・エスパーニャのことを指します。)

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続いて行われたのが、海外招待選手4名による法被ジョーヌをかけたクイズ大会です。

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1問目・2問目は簡単な問題なので難なく全員正解

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3問目もクイズと思いきや今回は絵心対決ということで、さいたま市のPRキャラのヌゥ君のイラストを描いて、一番美味かった選手が優勝というものでした。

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会場にもヌゥ君は来ていましたが、栗村氏は事前にお手本ということで描いてきており、中々上手です。

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海外招待選手4名は、あまり絵心はなかった模様でしたが、勝負師の目つきになり真剣に描いていました。しかしフルーム選手はヌゥ君をあまり見ずに栗村氏が掲げたイラストをジッとみて描いており最後にカンニングを指摘されていました(笑)

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最終的に優勝はデゲンコルブ選手となり法被ジョーヌと副賞の岩槻特産のミニ兜が送られていました。


という訳で、スター選手を身近に見るのは、良いイベントかもしれません。
「さいたまクリテリウム」も2013年に始まったばかりの、まだ新しいイベントです。マラソンと違い、自転車レースはまだまだ日本では馴染みがあるとは言えません。まだ試行錯誤だと思いますが、是非、今後とも続けて頂いて、お馴染みのイベントになる位、大きくなって欲しいと思います。

東京・五日市 子の権現様と周辺の峠(サイクルツーリングの記憶)

前回は奥武蔵、吾野の「子の権現様」訪問でした。今回はその2年後、東京は五日市、同じく「子の権現様」と周辺の峠行き(蛇野峠、グミノ木峠)、そして「横根峠」の記憶です。


【 年月日 】 2004年2月
【 ルート 】 宮ノ平駅−吉野梅郷−梅ヶ谷峠−西の入・ホオバ沢林道←→梅の木林道(肝要峠)−r184−岩井院・子の権現様−r31−蛇野峠−グミノ木峠−武蔵五日市駅前−r33−星竹−南沢・星竹林道←→横根峠−武蔵五日市駅前−拝島駅
【 車 種 】 ランドナー


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r184沿い、岩井にある岩井(がんせい)院の立派な境内の脇に、子の権現社があるので参拝しよう。昔は勝峰山の山頂にあったが、石灰岩採掘のため昭和2年に現在地に移転したそうだ(※1)。
伝承は、以前に参拝した吾野の子の権現様と似ている。ただし火傷を負った際に竜は登場しない。更に子の聖はお経を残してこの地を去ってしまう。そしてこちらも腰から下の病気に霊験があるという。合掌して健脚祈願、「どうぞ足が強くなりますように。」

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さて強くなった?足で峠巡りを続けましょう。

まずは蛇野峠。「日の出町史」(※2)で見つけた峠で、坊平(ぼうへい)と玉ノ内を結ぶ。
よく寄らせて頂く地元の喫茶店のご主人に伺ってみたところ、確かに峠状の場所があるとのこと。そして近くの藤が蛇のような形をしており、そのせいか蛇と関係した昔話を聞いたことがあると教えて頂いた。ご主人様どうも有難うございます。
その藤は標高265mの八幡山にあり、「大久野の藤」として都の天然記念物にも指定されている。なるほど、アラカシの大木に大蛇のごとくグルグルと巻きついている。よくもまあ、こんなに絡まったものだ。
裏手には石祠が祀ってある。恐らく昔は御神木「蛇の木」のある「蛇の木峠」と呼ばれ、それが短縮して「蛇野峠」になったのではなかろうか。

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峠(写真)には水道局の配水所施設がある。また坊平側はダートな路面が残っている。
その道を一生懸命登っていたら左足が攣ってしまった。あれ、お参りしたばかりなのに(泣)

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お次はグミノ木峠(写真)。並木氏「五日市町の古道と地名」に載っている。小机と幸神を結ぶ峠で、五日市と青梅を繋ぐ青梅古道だった(※3)。
H8年発行の地形図では道は破線で描かれており、先の本には緑に囲まれた雰囲気の良い土の道の写真が掲載されていたが、現在では既に舗装済である。勾配も緩く、自転車ではアッという間に通り過ぎてしまう。

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その後は武蔵五日市駅前を通り過ぎ、本日最後の峠、星竹と本須を結ぶ横根峠(横峰峠)の場所の確認へ向かう。こちらも前述の並木氏の著書に「金毘羅裾道」として記述があり、概念図は宮内氏「奥多摩」に掲載されている。
写真は星竹にある普光寺傍の道路脇にて。左から馬頭観世音、百万遍供養塔、御神燈。

星竹から南沢・星竹林道へ進む。しかし峠近辺まで来ても、峠道が見当たらない。日没のタイムリミットが近いため、金毘羅尾根経由で回り込む余裕もない。林道に自転車をデポし、空身で斜面を強引によじ登って、尾根に取り付く。
「もはや峠は残っていないだろうな」と余り期待もせずに、送電線の鉄塔脇にて周囲を見回したら・・・。

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嬉しいことに、峠は綺麗な形で残っていた!
写真正面は本須へ向かう道。どうやら歩けそうな気配だ。
手前、林道方面も道は伸びている。
右手の巡視路の黄色い杭の先にも道がある。恐らくこれが金毘羅尾根から派生する尾根道だろうか。少しだけ歩いてみると、杉の木々の間に紐がピンと張られているのを見かける。雪起こしの為だろうか?

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峠の周囲を色々と確認したかったが、もう日没間近なので、急いで峠から林道へ戻る。山腹に沿った道を東へ緩やかに下るとミラーの設置してある左カーブ地点(写真)に飛び出した。
林道から星竹方面を覗いてみると、踏み跡らしき道筋を見つける。もしかして旧道なのかもしれない・・・?

自転車のデポ地まで戻り、林道を引き返した。次回はぜひ本須へと抜けてみよう。


(参考文献)
(※1)「語呂合わせの神々 秩父・奥武蔵 謎の伝説」(神山弘著 金曜堂出版部 1987年)
(※2)「日の出町史(通史編上巻)」(日の出町史編纂委員会 1992年)
(※3)「五日市町の古道と地名」(並木米一著 五日市町教育委員会 1984年)