東京・五日市 子の権現様と周辺の峠(サイクルツーリングの記憶)

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前回は奥武蔵、吾野の「子の権現様」訪問でした。今回はその2年後、東京は五日市、同じく「子の権現様」と周辺の峠行き(蛇野峠、グミノ木峠)、そして「横根峠」の記憶です。


【 年月日 】 2004年2月
【 ルート 】 宮ノ平駅−吉野梅郷−梅ヶ谷峠−西の入・ホオバ沢林道←→梅の木林道(肝要峠)−r184−岩井院・子の権現様−r31−蛇野峠−グミノ木峠−武蔵五日市駅前−r33−星竹−南沢・星竹林道←→横根峠−武蔵五日市駅前−拝島駅
【 車 種 】 ランドナー


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r184沿い、岩井にある岩井(がんせい)院の立派な境内の脇に、子の権現社があるので参拝しよう。昔は勝峰山の山頂にあったが、石灰岩採掘のため昭和2年に現在地に移転したそうだ(※1)。
伝承は、以前に参拝した吾野の子の権現様と似ている。ただし火傷を負った際に竜は登場しない。更に子の聖はお経を残してこの地を去ってしまう。そしてこちらも腰から下の病気に霊験があるという。合掌して健脚祈願、「どうぞ足が強くなりますように。」

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さて強くなった?足で峠巡りを続けましょう。

まずは蛇野峠。「日の出町史」(※2)で見つけた峠で、坊平(ぼうへい)と玉ノ内を結ぶ。
よく寄らせて頂く地元の喫茶店のご主人に伺ってみたところ、確かに峠状の場所があるとのこと。そして近くの藤が蛇のような形をしており、そのせいか蛇と関係した昔話を聞いたことがあると教えて頂いた。ご主人様どうも有難うございます。
その藤は標高265mの八幡山にあり、「大久野の藤」として都の天然記念物にも指定されている。なるほど、アラカシの大木に大蛇のごとくグルグルと巻きついている。よくもまあ、こんなに絡まったものだ。
裏手には石祠が祀ってある。恐らく昔は御神木「蛇の木」のある「蛇の木峠」と呼ばれ、それが短縮して「蛇野峠」になったのではなかろうか。

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峠(写真)には水道局の配水所施設がある。また坊平側はダートな路面が残っている。
その道を一生懸命登っていたら左足が攣ってしまった。あれ、お参りしたばかりなのに(泣)

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お次はグミノ木峠(写真)。並木氏「五日市町の古道と地名」に載っている。小机と幸神を結ぶ峠で、五日市と青梅を繋ぐ青梅古道だった(※3)。
H8年発行の地形図では道は破線で描かれており、先の本には緑に囲まれた雰囲気の良い土の道の写真が掲載されていたが、現在では既に舗装済である。勾配も緩く、自転車ではアッという間に通り過ぎてしまう。

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その後は武蔵五日市駅前を通り過ぎ、本日最後の峠、星竹と本須を結ぶ横根峠(横峰峠)の場所の確認へ向かう。こちらも前述の並木氏の著書に「金毘羅裾道」として記述があり、概念図は宮内氏「奥多摩」に掲載されている。
写真は星竹にある普光寺傍の道路脇にて。左から馬頭観世音、百万遍供養塔、御神燈。

星竹から南沢・星竹林道へ進む。しかし峠近辺まで来ても、峠道が見当たらない。日没のタイムリミットが近いため、金毘羅尾根経由で回り込む余裕もない。林道に自転車をデポし、空身で斜面を強引によじ登って、尾根に取り付く。
「もはや峠は残っていないだろうな」と余り期待もせずに、送電線の鉄塔脇にて周囲を見回したら・・・。

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嬉しいことに、峠は綺麗な形で残っていた!
写真正面は本須へ向かう道。どうやら歩けそうな気配だ。
手前、林道方面も道は伸びている。
右手の巡視路の黄色い杭の先にも道がある。恐らくこれが金毘羅尾根から派生する尾根道だろうか。少しだけ歩いてみると、杉の木々の間に紐がピンと張られているのを見かける。雪起こしの為だろうか?

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峠の周囲を色々と確認したかったが、もう日没間近なので、急いで峠から林道へ戻る。山腹に沿った道を東へ緩やかに下るとミラーの設置してある左カーブ地点(写真)に飛び出した。
林道から星竹方面を覗いてみると、踏み跡らしき道筋を見つける。もしかして旧道なのかもしれない・・・?

自転車のデポ地まで戻り、林道を引き返した。次回はぜひ本須へと抜けてみよう。


(参考文献)
(※1)「語呂合わせの神々 秩父・奥武蔵 謎の伝説」(神山弘著 金曜堂出版部 1987年)
(※2)「日の出町史(通史編上巻)」(日の出町史編纂委員会 1992年)
(※3)「五日市町の古道と地名」(並木米一著 五日市町教育委員会 1984年)

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