東京・馬引沢峠から旧二ツ塚峠、大荷田峠、満地峠へ(サイクルツーリングの記憶)

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今回は冬の陽だまりを求めて、五日市付近の小さな峠へポタリング紀行となりました。
今から11年前のお話です。大きな写真が残っておらず、小さい写真でごめんなさい。


【 年月 】 2004年1月
【 ルート 】 JR宮ノ平駅−r45(吉野街道)−林道−馬引沢峠−旧二ツ塚峠−r31(秋川街道)−二ツ塚峠−大荷田川沿い−大荷田峠−大荷田川沿い−R411(滝山街道)−旧満地峠−古満地峠−R411(滝山街道)−JR小作駅
【 車 種 】 ランドナー


冬の休日はなかなか布団から出られず、何度目かの目覚まし音で時間を確認したら既に朝の9時。結局この日も昼からのサイクリングとなってしまった。

吉野街道の畑中3丁目付近から見当をつけて脇道に入ると、林道が延びている。所々に簡易舗装も施してあるも、沢に沿った雰囲気の良い道だ。せっかくなので途中からノンビリと歩いて峠を目指した。
ところで馬引沢(まひきざわ)峠の「マヒキザワ」とは、「蟇沢」に接頭語マがついたという説がある(※1)。なるほど、林道の中では蛙の合唱が今にも聞こえてきそうだ。
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やがて峠に到着。南側の大久野へ下る道、すなわち写真正面のフェンスの先は大規模な産廃処理場があり、残念ながら道は消滅している。
なお鎌倉街道は榎峠から軍畑を経て馬引沢峠を通ったという説がある一方、西の梅ケ谷峠の方だとも言われている(※2)。

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続いて旧二ツ塚峠へ。この峠には二つの物語があるのでご紹介しましょう。
一つは、峠名の由来とも言われる、母娘の悲しいお話だ(写真をクリック)。二人の塚の前に歩み寄ってみると、真新しい花束がお供えされている。今でも地元の人に大切にされている証だ。自分もそっと手を合わせる。
もう一つは、二体のお地蔵様、いわゆる「傘地蔵」のお話(※2)。残念ながらお地蔵様のお姿は見えなかったけど、それだけ土地の人に利用されていた峠であったのだろう。

ここで正直に告白すれば、馬引沢峠も旧二ツ塚峠も、先の処理場のお陰で、今まで訪れるのを躊躇していた。しかし確かにフェンスはあるものの落ち着いた良い場所であった。

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フェンス沿いの荒れた道を下り、秋川街道に合流。そのまま北上すれば旧京塚峠(※3)、現在の二ツ塚峠だ。
車の往来が激しく、カーブの途中で立ち止まって写真を撮るのが少々怖い。

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大荷田川沿いに入り、右手に病院をやり過ごし、やがて左手(北側)の橋を渡って「万場(ばんば)坂通り」という坂道に入る。農道開鑿記念碑もある道を上りきれば、切り通し状のピークに到着。ここが大荷田峠(※3)?だと思う。
右手に山道が延びていたので、ぐるっと探索してみると、小さな畑や、廃車などを見かけた。
このまま峠を下れば、万場坂バス停のある吉野街道に合流するが、今回は大荷田川沿いに戻って満地峠を目指す。

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古満地峠まで足を延ばすことにしよう。
滝山街道の友田方面から旧道に入り、左手の階段へ向かう十字路の分岐点から右(西)へ登るとT字になるので、右から回り込むように尾根を西に進む。程なくして、「古満地峠 ←友田 菅生→」と書かれた小さな標識が木に掛かっている場所に出る。
(写真左が旧満地峠、右が古満地峠)
その後、旧道を引き返し、薄暗くなってきた寒空の中を小作駅まで駆け込んだ。


(参考文献)
(※1)「五日市町の古道と地名」(並木米一著 五日市町教育委員会 1984年)
(※2)「日の出町の昔ばなし」(日の出町文化財保護委員会編 1982年)
(※3)「増補改訂 青梅市史」(東京都青梅市 1995年)

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