趣味に乾杯!

千葉県/晩夏の大山千枚田(サイクリングの記憶)

峠超えが多いサイクルツーリングの記憶の中、今回は趣向を変えて、棚田を訪れた時の記憶です。場所は千葉県、大山千枚田。千葉県の指定名勝でもありますね。


【年月 】 2002年8月
【ルート】 JR保田駅-江月・水仙ロード-r184-佐久間ダム-大崩-大山千枚田-r34(長狭街道)-JR安房鴨川駅
【走行距離】 約30キロ弱
【車種】 ランドナー


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本来は長狭街道で一直線に大山千枚田へ向かえば良いのだが、それでは芸が無いので、あちこち寄り道しながらウネウネと走ることにした。
JR保田駅を8時に出発。江月へ向けて進み、「水仙ロード」という名前の道に入る。

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今回は時期はずれなので・・・、冬に来ましょうね。短いながらも坂がキツくて早くもヘロヘロだ。という訳で、一旦県道184号にエスケープするため、ひび割れた舗装路を慎重に下る。佐久間ダムまでは、しばらく県道で。

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写真の佐久間ダムから「大崩」へ向かう。また、イヤ~な上り坂が待ち受けているようだ。
更にフラフラ走っていると大山千枚田への道標がある。

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やっと本日の目的地、大山千枚田。
看板には「東京から一番近い棚田の里」とある。農水省の「日本の棚田百選」にも選ばれている棚田だ。用水を引かず、天水のみで凌いでいるためご苦労が偲ばれる。そのうえ段々畑なので作業はとても大変だろう。ここは観光地化していて、この日も平日の午前中というのに、ひっきりなしに私の様な観光客が絶えなかった。
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日渡隧道を鴨川方面に抜けて、すぐ右の急坂を上り、道なりに進むと棚田を一周出来る。左の写真は、上の看板の場所をちょうど反対側から見上げた格好だ。
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棚田を一周したあと、再び日渡隧道くぐり、長狭街道に合流してJR安房鴨川駅を目指す。
右手には嶺岡中央林道が走る嶺岡丘陵の迫力のある姿。
鴨川の前原海岸の公園でお弁当を食べ、13時の列車で帰路についた。


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フリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時/年中無休)または
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埼玉/七重峠超え(サイクリングの記憶)

今回のサイクルツーリングの記憶は、埼玉の林道を走った記憶です。
大きな台風直後の為、走行距離は短く、時間も4時間程と、ノンビリコースです。


【年月】 2002年10月
【ルート】 寄居駅-r294-r11-萩殿林道-七重峠-栗山林道-r11-小川町駅
【走行距離】 約36キロ
【車種】 ランドナー


 

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関東に上陸した台風では戦後最大級となった台風21号が通り過ぎた2日後。道路状況が心配だったが、秩父の七重峠を超える全舗装の林道を走ることにした。

寄居駅を8時30分に出発。全長約4.5Kmの林道「萩殿線」を目指す。
林道に入ると急に勾配がきつくなり、道幅も一車線の静かな道になる。ようやくツーリングの雰囲気になってきたなという感覚だ。この日はあいにくの曇り空だが、その代わり気温も高くはない。それでも登るにつれて額から汗が噴き出してきた。

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登るにつれて徐々に展望が開けてくる。途中に「甘露水」という水場があり、水は冷たくて気持ちが良い。顔を洗って、ペットボトルにも補給。
台風で心配された路面も、小枝の散乱程度で走行に支障はなく一安心だ。峠まで、あと一息。

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七重峠(七重越)(※1)に到着。
気温が涼しかったのが幸いした。これが真夏だったら恐らくヘロヘロだろう。
写真の前方の山は笠山。そして手前の青いトタンの小屋は材木小屋と思われる。
ちなみに笠山はその形状から、別名「乳房山」「乳首山」とも呼ばれているそうだ(※2)。

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下りは林道「栗山線」と名称が変わるようだ。
勾配が急なためスピードが出やすい。ひび割れた路面と、忘れた頃にやってくる対向車の存在があるので、ここは慎重に走る。
下界に広がる関東平野がよく見渡せ、気持ちが良い。

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途中には再び水場があり、先の案内図によると「延命水」という名前がついているようだ。
炎天下の峠越えなら、まさに命の水だ。

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赤木のT字路にぶつかって、ここで林道も終了。小川町駅方面へはこのT路を左折するが、試しに右折して小さな館川ダム(写真)まで進んでみた。
その先の都幾川村方面へ向かう道路が、2本とも橋の崩落により通行止め。よってダムの地点で引き返す。後は小川町駅に向かってペダルを漕ぐだけだ。12時30分に駅に到着した。


(※1)「奥武蔵 250号」(奥武蔵研究会)『奥武蔵の山名・峠名正誤表(編集部)』によれば、「笠山峠」、「七重峠」の呼称は、ハイカーの仮称が一般化したものだという。地元(白石側)では「カゴ山のタル」と呼ぶという。
(※2)「山村と峠道」(飯野頼治著 エンタプライズ 1990年)


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南高尾山稜へ(サイクリングの記憶)

今回のサイクルツーリングの記憶は、冬のハイキングコースへのんびりお邪魔した時の記憶です。


【 年月  】 2003年2月
【 ルート 】 高尾山口駅-大垂水峠-関東ふれあいの道(大洞山~中沢峠~西山峠~三沢峠)-城山湖周辺-県道-高尾駅
【 車 種 】 ランドナー
【 参 考 】 「東京近郊サイクリングコースガイド50 東京西部編」(山と渓谷社 1996年)


7時半過ぎに京王線の高尾山口駅を出発。道路に設置してあった温度計の数字はマイナス2度。体が暖まるまではとにかく我慢だ。
ひとしきり登って大垂水峠(標高389m)に到着、歩道橋の端から山道に入る(写真)。

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大洞山までは狭い道を進み、やがて階段の上りだ。路面は霜が降りて滑りやすいため、無理せずにゆっくりと押しと担ぎで進む。この頃になると、すっかり体も暖まり、額から噴出した汗が眼鏡に滴り落ちる。

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大洞山(標高536m)には9時前に到着,汗を拭って水筒の水をガブ飲みして一休み。
この先、三沢峠まで何箇所か分岐があるが、前掲のガイドブックの記述に従って「梅ノ木平」方面へ。
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514.7mのピークを越え、分岐点(写真左)では、ガイドブックどおり、右手の「まきみち」標識方向(マジック書きで「近道」の文字あり)へ迂回して中沢峠へ。
巻き道は狭く路肩も緩いので、一歩一歩慎重に歩く。
じきに中沢峠に到着(写真右)。観音菩薩像のある中沢山にも寄り道してみる。 1IMG_0022
中沢峠から西山峠へ至る間に、南側が開けた「見晴台」という場所がある。眼下には箱庭のような津久井湖、右上にはくっきりと富士山の姿。ここは絶好のランチポイントだ。

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但し広場にはなっておらず、道の脇にベンチが置いてあるだけの状態なので、時間帯によってはハイカーの方々で混雑しそうだ。今回はまだ時間も早いので、休憩のみとして先に進む。
なお、この日は確認せずに通り過ぎてしまったが、中沢峠と西山峠の間に淺川峠という峠があるそうだ(※1)。
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西山峠まで来ると、反対側から来られるハイカーさんの方々とお会いする機会が増える。ハイキングコースに自転車を持ち込む身としては、やはりハイカーさんの少ない早い時間から山に入って正解だ。
ちなみに峠名の由来は、三井の集落から見て西にある山並みの総称=西山を越えることから命名された。三井から甲州街道へ抜ける交易の道、高尾山への参拝の道として栄えたようだ(※2)。
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最後の峠は、広場状の三沢峠(追分峠の呼称もあり※1)。
まだお昼前だが、最後の休憩ポイントと思い、早めのお昼とする。ハイカーさんも次々と登られて行く。
この分岐点は、右は「峯の薬師」方面、直進は「城山湖」、左は「梅ノ木平」となり、今回は城山湖方面へ。城山湖付近をのんびり探索したあと、高尾駅から13時半過ぎの電車で帰路についた。
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(参考文献)
(※1)「新多摩の低山 ようこそ65の山へ」(守屋龍男著 けやき出版 1999年)
(※2)「かながわの峠」(植木知司著 かながわ文庫 1999年)


移動距離がある場合、自転車があると便利ですね。今も様子は当時と変わらないのかな・・・。

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山梨・松姫峠から雛鶴峠、牧馬峠へ(サイクリングの記憶)

今回のサイクルツーリングの記憶は、山梨県へお邪魔です。今から12年前ですね・・・。


【 年月日 】 2003年6月
【 ルート 】 JR奥多摩駅前-松姫峠-大月駅前-禾生駅前-旧雛鶴隧道(撤退)-新雛鶴隧道-牧馬峠-JR橋本駅前
【 車 種 】 ランドナー
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梅雨入り前の休日、久しく足を運んでいなかった奥多摩方面を走ることにした。
夜中に自宅を出て、ハイカーで混む奥多摩駅前には9:30に到着。更に奥多摩湖に沿って進み、深山(みやま)橋へ。
やがて松姫峠への峠道に入ると、ロード練習の有名な場所なのだろうか、何人ものロード乗りに出会う。皆さんは時にはダンシングをしながらグイグイ登られる。うーん、さすが健脚だなぁ・・・。

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峠道での様子から、峠ではさぞかし賑やかだろうなと想像していたら、ワゴン車をデポしたロード練習の皆さんがお休み中。その手前にはこれまた大型バイクの皆さんが盛り上がっている。使われなくなって廃道の運命を辿る峠道が多い中、このように人で賑わっている峠は幸せでしょう。
ちなみに、この松姫峠には、むかし武田信玄の娘「松姫」が織田の軍勢から逃れる為に越えたという伝承があるそうだ。
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峠から下ってすぐに展望が開け、ここは見所だろう。山肌を縫うような道を眼下に見ることが出来る。
大月まで標高差約900m、距離にして約20km超のダウンヒルの始まりだ。対抗車も通るのでスピードはセーブするが、結構な速度は出ただろう。ブレーキを握る手も疲れるので、休憩しながら落ちていく。
途中、上和田の集落だったか、下から小さな男の子が自転車で登ってきて「こんにちは!」と礼儀正しく挨拶を頂く。この坂を登るなんて大変だなーと思っていたら、坂の途中に小学校があった。さぞかし健脚になるだろうなぁ。毎日毎日、大変だろうけど・・・。

その後、多少の登り返しもあるが、無事に国道20号に合流して、大月駅前の食堂で遅い昼食にする。ちょうどボトルも空もなったので、水道の水を補給しようと店員さんにお願いしたら、わざわざ店内の新しい冷水で入れて下さる。それだけでも恐縮しているのに「しばらく涼んでいてもいいですよ」との有難いお言葉。疲れた身体には最良のビタミン剤だ。本当に感謝感激。
しかし時間も迫っておりそうも行かず、改めて店員さんにお礼を述べて、次の目的地、雛鶴峠(別名、大ダミ峠※1)を目指す。

大月駅前から富士急行の線路に並行して進み、禾生駅前を15時前に通過する。予定より随分と遅れ気味のため急いでペダルを回すものの、疲れも溜まっており、気ばかり急いで一向に足が回らない。
リニアモーターカーの実験基地を通り過ぎ、旧道へ15時半過ぎに入る。路面にひび割れや穴ぼこがあり、小枝や松ぼっくりが散乱した峠道だ。その代わり誰にも会わず、ようやく独り静かに峠道を味わうことが出来る。雛鶴峠の旧隧道は16時前に到着。1IMG_0011
そして隧道を抜けようとすると、何とご覧の通りの頑丈な鉄柵で入り口を塞がれて通行不能だ。自転車のライトを当てて中を覗くも、真っ暗でよく見えない。更にボコボコと水の滴る大きな音が聞こえ、何とも薄気味悪い。
しばしの休憩のあと、再びサドルに跨って今登って来た道を引き返す。昭和61年に完成した新しい隧道で反対側に抜ける。
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その隧道を抜けて右手に、雛鶴姫伝承の主人公の雛鶴姫と護良親王を祀る雛鶴神社があるが、今回は先を急ぐためパス。今度ゆっくり来よう。
ちなみに、この辺りの集落は「無生野」(むしょうの)と呼ぶが、元々は「無情野」であったとのこと。つまり、産気づいた雛鶴姫に対して後難を恐れた住民が誰一人宿を貸さなかったことに由来するそうだ(※2)。真偽の程はともかく悲しい伝承だ。

さて、いよいよ最後の峠、牧馬(まきめ)峠を目指す。何度かアップダウンを繰り返して峠道に入ると、その勾配は12%。
さすがに足は売切れで必死に押して歩くと、後ろから来たワゴン車の助手席から「頑張ってー」の声が掛かる。車の屋根にロードが積んであったので、どこかのクラブだろうか。こちらは「あっ、すみません」と答えるのが精一杯だが、とにかく本当に嬉しい。お陰さまで元気を取り戻して、何とか18時丁度に峠に到着する。
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峠には「神奈川県指定天然記念物 ギフチョウとその生息地」である旨の説明板がある。その密猟対策か、フェンスで仕切られており殺風景な感じだ。車の往来も多く、そろそろ日も暮れ始めるため、すぐに下り始める。

これで本日の峠はすべて終了。無理をして峠を結んだ結果、ずいぶん慌しいサイクリングになってしまった。

先の雛鶴姫が、護良親王の御首を抱いて、牧馬峠を越えて逆に雛鶴峠へ向かったということは、帰宅後にはじめて知った(※3)。
(参考文献)
(※1)「甲斐の山山」(小林経雄著 新ハイキング社 1992年)
(※2)「角川日本地名大辞典 山梨県」
(※3)「かながわの峠」(植木知司著 神奈川新聞社 1999年)


※かなり慌しいサイクリングになってしまいましたね。タイトなスケジュールを組みすぎてしまいました(泣)。


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静岡県/戸田峠から真城峠へ(サイクリングの記憶)

前回の「サイクルツーリングの記憶」は<東京・藤原峠と横沢入>でした。
今回は関東地方を飛び越えて、静岡県の記録です。


【年 月】 2003年4月
【ルート】 JR函南駅-狩野川沿い-修善寺-戸田峠-真城峠-戸田港-r17-R414-JR沼津駅
【走行距離】 約87キロ
【車 種】 ランドナー

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JR函南駅を8時に出発。
交通量の激しい国道からは早々に退散し、狩野川の土手へとハンドルを向ける。
狩野川の川沿いには、菜の花やタンポポが咲いており、1月に訪れた時とは違って、すっかり春めいている。
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修善寺で狩野川とは別れ、温泉街へ進む。
その温泉街とも別れ、そのまま北又の集落へ。
北又川沢沿いの、車もほとんど通らない一本道を登る。
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道はその後九十九折れになり、林道のような雰囲気だ。
ウグイスの鳴き声を聞きながらノンビリ登ると、2車線に幅が広がった車道に合流。
こちらが本線と思われる。ここで「だるま山高原レストランまで2.7km」の表示がある。

合流してからは単調な道が続く。戸田(へだ)峠までは、まだまだ登りだ。病み上がりの身には相当こたえた。
その後、左手に達磨山林道の入口、そしてキャンプ場を通り過ぎると、やっと高原レストランについた。多くの休憩客で賑うレストランの裏手からは、写真の通り、駿河湾越しの富士山を見ることが出来る。
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レストランからひと上りして、ようやく戸田峠(標高720m)に到着。
展望はきかないせいか、広い駐車スペースがあるも、どの車も止まることなく、どんどん通り過ぎて行く。
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さて峠からは待望のダウンヒルの始まりだ。
下る途中に瞽女(ごぜ)展望地があり、これから下る道や戸田港などが一望出来る。観音様も祀っており、”瞽女さん”つまり盲目の旅芸人が、この峠道で大雪のため凍え死んだそうだ。そして村人が安全祈願のため観音様を祀ったとのことだ。(現地の説明版より)
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地で少々休憩した後、下界を目指して車の少ない車道を快適に飛ばす。しばし下りを堪能した後、戸田港との分岐点から分かれて、もうひとのぼり。真城峠(標高491.8m)へ。

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峠からは戸田港方面へ進路を向ける。車はほとんど通らないのだろう、戸田峠から戸田港へ向かうために、わざわざ真城峠を経由する必要もないだろうから。

道に散乱する落石に注意しながら、独り占めにした道を慎重に下っていく。
突然、目の前にポッカリ富士山が現れた。予期していなかっただけに、アッと驚く。まるでこの道がそのまま富士山に続いているようだ。サドルから降りて、しばらくその姿を堪能。

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木漏れ日を浴びて、緑色の光線の中を走っているようだ。
下るにつれて、散った桜の花びらが道の上を絨毯のように続いている。

戸田港からは海岸線の県道17号を走る。景色は良いが、井田(いた)に向かうまでの標高差約150mの登り返しが2度もあるのが何とも辛い。
やっとこさ最高点の井田トンネルを抜け、あとは平坦な道を走るだけだ。
海越しに富士山を見ながら沼津へと向かう。国道414号に合流してからは、交通量も非常に多く路肩も狭いので、路面とのニラメッコ。その後、沼津駅には15時半過ぎに到着。

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菜の花と富士山が印象的な、伊豆のサイクリングの思い出でした。
ではまた、次回!
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2003ジャパンカップ観戦記(宇都宮市森林公園)

今回の”サイクルイベントの風景”は2003年のジャパンカップの観戦記です。

「ジャパンカップはアジアにおける最大レースの1つであり、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアといった、世界の第一線で活躍する選手たちの本気の勝負を間近で見られる日本で唯一の大会でもあります。 現在ワンデイ・レースとしてはアジアで唯一、最上位カテゴリーのオークラス(Hors Class = 超級)のレースとなっています。」(2015年ジャパンカップ公式サイトより引用。)

このようなプロのロードレースを間近で見る機会があり、その迫力は予想以上、幸せな体験でした。皆様も機会がありましたら、ぜひ一度ご観戦してみて下さい。お勧めです!
(なおコースや観戦マナーはあくまで2003年当時の状況です。最新の情報は主催者のサイトをご覧下さい。)


本日はサイクリング仲間のお誘いでサイクルロードレースを見に行く。

沿道でのロードレース観戦は自転車は初めて。定番のマラソンでも、中山竹道選手を見たのは何時のことだったか・・・。
とにかく生で観戦する機会など滅多にない。まして本大会はヨーロッパのトレードチームも出場する国内最高峰の大会だけに、とても楽しみだ。

7時半にJR宇都宮駅に到着。駅舎には「歓迎ジャパンカップ」のポスターが貼ってある。
会場の森林公園に向けて街中を自転車で走っていると、チームカーなど関係者の車に出会う。そして沿道には大会のノボリも立ち、いよいよ気分も盛り上がってくる。IMG_0003a
会場は既に大勢の観客で賑わっていた。我々のような自転車組も多く、雑誌で見かけるような高級ロードが道路脇のあちこちに停めてある。

広場では、サエコ、スバルといった各ブースが出展しており、選手のポストカードなどを配っている。そしてコースの裏手にピットがあり、当然立ち入り禁止なのだが、ウォーミングアップか、ファンサービスか、自転車に乗った選手がピットからコース内に出てきてくれる。とたんにファンに囲まれ記念撮影とサイン攻めだ。地元の方と思われるオバちゃん達もおり、サイン帳片手に選手を追いかけている。選手たちもそれに応じ、緊張の中にも和やかな雰囲気だ。
写真はファンサービスに応じる、ビアンキのガルシアカサス選手とプラザ選手。

さて、コースは1周14.1kmを全部で11週し、全151.3km。
途中には最大勾配14%の登り坂もある。会場で購入したパンフレットにはプロフィールマップも掲載されており、意外と起伏の多いコースだということがわかる。IMG_0008a
いよいよ午前10時にレースは開始。
スタートからいきなりの登り坂なので、はじめから勢い良くダンシングした選手たちが目の前を一気に駆け抜ける。

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我々も選手の後を追うことにする。
最初は歩いて移動していたが、他の観客は自転車を沿道に持ち込んでいるので、警備員に確認すると、最後の回収車が通り過ぎた後なら走行はOK、ただし逆走はNGとのこと。
という訳で、今しがた選手が疾走していった道を我々も自転車で移動するのだが、それが何とも言えずに不思議な気分だ。

自転車で走りながら観戦に良さそうなポイントを探す。山岳賞が設定されている古賀志林道のピーク(写真)、県道への下り道、田野町交差点のカーブ、鶴CC手前の登り坂など。
適当な場所で地面に腰をおろし、選手が来るまではノンビリ待機だ。まるでサイクリングの途中で日向ぼっこをしているかのような、ゆっくりとした時間が流れる。このギャップもいい。

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そのうち白バイの姿が目に入り、オフィシャルカーが通り過ぎると、いよいよ選手の姿だ。
まずは逃げの選手が走り抜け、次に集団が一気に走り過ぎる。束になった風が吹きぬけ、文字通り旋風が巻き起こった。拍手と共に、頑張れ!アーレ!の歓声だ。友人氏はサインを貰ったビアンキのガルシアカサスに声援を送っている。選手に続いてチームカーがタイヤを鳴らしながら追随して、最後に回収車が去ると、何とも言えないざわめきが起こり、再び元の静けさに戻る。弛緩と緊張の連続。その繰り返しだ。

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さて、我々もコースを1周してみるが、さすがに登り坂はキツイ。もう、1周で勘弁願いたいという道だ。それを11週するとは(しかもロードのギア比で!)、やはり選手と言うのは只者ではない。
なお会場ではラジオ局が中継をしている。今度からはラジオ持参で観戦すると、細かい展開が分かって一層楽しいと思う。
写真は田野町交差点のカーブ地点。道幅いっぱい使ってのコーナーリング。

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鶴CC付近にて、最後の登り。先の林道より勾配はきついそうだ。
レースの方は、日本人3名が登り坂を利用して開始早々にアタック。
逃げを形成し、一時は集団に5分の差をつけるも残り3週で吸収。最後は集団から飛び出した外人選手2人のゴールスプリントで、ランプレのバルベーロが昨年に続いて2連覇を達成する。99年についで3度目。2位はクイックステップのシンケビッツ、3位はコフィディスのトレイティン。ガルシアカサスは惜しくも4位。日本勢では田代恭崇(BSアンカー)の10位が最高だった。

帰りは新鹿沼駅までひと走り。
他の観客は宇都宮駅方面に流れるのだろうか、観客の姿もほとんど見ない。駅前で軽い食事をした後、電車の座席では、心地良い疲れとレースの余韻に浸って、いつしか夢の中に入っていった。
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(参考)
・ジャパンカップ公式サイト http://www.japancup.gr.jp/
・日本自転車競技連盟 http://jcf.or.jp/

東京・藤原峠と横沢入/サイクリングの記憶

不定期連載の「サイクルツーリングの記憶」コーナー。前回は巌道峠、大川原天神峠から和田峠、五日市へのご紹介でした。今回は12年前のちょうど今日、2003年の9月23日に訪れた”記憶です”。(”記憶”ですで、ツーリングに行かれる方は必ず最新の情報をご確認下さい。)


【 年月日 】 2003年9月23日
【 ルート 】 JR武蔵五日市駅前-r33(檜原街道)-r205-北秋川沿い-入間・白岩林道(藤原峠)-横倉林道(途中まで)-数馬下-r206-r33-JR武蔵五日市駅前-横沢入(横沢・小机林道及び峠)-大悲願寺-JR秋川駅
【 車 種 】 ランドナー


入間・白岩林道は、檜原村を東西に走る浅間(せんげん)尾根の藤原峠を超えて、秋川北部の藤原、倉掛と南部の数馬下を結ぶ林道だ。2年前(2001年3月号No.443)のニューサイクリング誌のコースガイド等で紹介されて以来、訪れる機会を望んでいた。

先週までは残暑が厳しかった関東地方も、今週に入りようやく秋の気配を感じられるようになった。Tシャツの上に長袖を羽織って、1年半ぶりの来訪となるJR武蔵五日市駅前には朝の8時過ぎに到着。

駅前からは檜原街道を走る。ロードレーサーを走らせる姿が多く見られ、恐らく奥多摩周遊道路の風張峠を目指すようだ。一方こちらは完全にサイクリングモード。しかし休日のせいか交通量も比較的多いため、通常より幾分かはペースは上げ気味だ。

本宿(もとしゅく)のT字は北(右)へ。北秋川沿いの道に入り、神戸岩から大ダワへ続く鋸山林道への分岐を右に見送ると、この先は林道以外は行き止まりのせいか、車の量もめっきり少なくなる。ようやくペダルを漕ぐ脚を緩めてノンビリ出来る。

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北秋川沿いの道にて。やがて「北秋川」は林道名にもある「白岩沢」に呼び名が変わる。
ちなみに林道名「入間・白岩林道」に登場する「白岩」(しらや)とは、書物(※1)の地図では倉掛山の東辺り、その本文から引用によると「倉掛もどん詰まりが茗荷平、右山が白岩、白岩の低いところは下平とも呼ぶ」とのこと。なお風張峠を別名「白岩峠」と呼んだそうだ(※2)。
もう片方の名前「入間」については「数馬からは一枚岩、いるまから(中略)浅間尾根に登った」との記述が別の書物(※3)にあり、また数馬下から浅間尾根に向けて突き上げる沢が「入間川」と呼ぶようなので(※3)、現在の数馬下付近にあったと推測するが如何だろうか?

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現在舗装化進行中のこのダートな林道は、平成7年の2万5千図には数馬下側しか記載がなく、比較的近年に完抜した林道のようだ。
とっかかりは浮石も多く少々荒れているが、徐々に締まった路面が現れて、ところどころにヌカルミで苦労するも乗車しての登坂が可能だ。そんなダートな道を求めてか、オフロードバイク2台と遭遇し、彼らは砂埃を上げながら登っていく。
道路脇に目をやれば、もうススキの穂が顔を出している。もう秋なんだなぁ・・・。

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林道上の藤原峠(標高は850m程)には11時過ぎに到着。なんとなく素っ気無い印象を受けるのは、展望が望めないからではなく舗装化のせいでしょう、なんてちょっと意地悪コメント、ゴメンナサイ。
この林道は浅間尾根を乗り越しているため、写真左手の浅間嶺方面への階段口(自転車の置いてある場所)から、写真には写っていないが、右手の風張峠に向けて山道が延びている。

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せっかくなので、その尾根上の旧峠を探しに空身のまま浅間嶺方面に向けて歩いてみる。
薄暗い林の中を湿り気のある少し滑りやすい土の路面に注意しながらも、歩き始めてすぐに小さな鞍部に辿り着く 木に小さく「藤原峠」の表示板が結んである。
かつて浅間尾根は数馬と五日市の交易の道であった。それゆえ、この峠は一般的な「向こう側に越えるための峠」であるのと同時に、「尾根に取り付くための峠」でもあったのだろう。
ちなみに藤原峠には「数馬峠」の別名があり、また浅間尾根全体を指して「浅間峠」とか「数馬峠」とも呼んだようだ(※2)。

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林道に戻り、再びサドルに跨る。峠から数馬下側は100%舗装化されている。この様子では全面舗装化も時間の問題だろう。
落石跡に注意しながら、その舗装路を下るにつれ、周遊道路を走るバイクの爆音が聞こえてくる。それでも、ふと空を見上げると山並みの上にこんな雲が。サドルから降りて、しばし景色を堪能・・・。

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このまま林道を下るのも名残惜しいので、途中の道路脇から浅間尾根に戻るように延びている小さな林道(横倉林道)にお邪魔。完全に林業用の作業道らしく、立て看板の地図によれば行き止まりのため、適当な場所でUターン。
黄色や白の蝶々がたくさん舞っていたのが印象的だったなぁ・・・。

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製材所を過ぎ、程なく小さな橋(「一枚石(いわ)橋」)を渡ると、檜原街道の数馬下へ合流。

檜原街道に合流してからは、下り基調の道をJR武蔵五日市駅前まで戻る。
当初は郷土資料館を見学する予定だったが、残念ながら祝日のため休館。
時間が余ったので1年半ぶりの再訪となる「里山、横沢入」にお邪魔することにした。
雑木林の中のダートな林道を登れば、やがて切り通しの小さな峠(標高260m)だ。

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横沢入にある、小さな峠。この道はポタリングにもピッタリ。

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写真は峠からの下り道。
この風景が、電車が走る線路のすぐ裏手にあるなんて信じられないなぁ・・・。
関係者の努力の賜物なのだろう。
色々な困難があると思うが、いつまでも残して頂きたいと思う。

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草原地帯で出る。家族連れがピクニックに来ており、子供さんも虫取りに夢中で楽しそう。
こんな光景、久しぶりに見るなぁ・・・。
里山を後にすればJRの線路のすぐ脇に出る。
近くには古刹、大悲願寺があり、三脚を置いた写真家の方々が本堂を撮影していた。
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(参考文献)
(※1)(「檜原村紀聞-その風土と人間-」瓜生卓造著 東京書籍 1977年)
(※2)(「復刻版 奥多摩」宮内敏雄著 百水社 1992年)
(※3)(「檜原・歴史と伝説」 小泉輝三朗著 武蔵野郷土史刊行会 1979年)


※今回の「サイクルツーリングの記憶」は久々となりました。また不定期で掲載していきます。宜しければ今後ともお付き合い下さいませ。


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巌道峠、大川原天神峠から和田峠、五日市へ/サイクリングの記憶

前回は秩父・文殊峠超えのご紹介でした。今回は冬ということで、同じ12月に訪れた記憶を蘇らせてみましょう。日付は今から11年前、2003年12月12日です。


【 ルート 】 JR上野原駅-県道35-巌道峠(安寺沢林道)-国道413(道志みち)-大川原天神峠(大川原林道)-JR藤野駅前-和田峠-醍醐峠(醍醐林道)-入山峠(盆堀林道)-JR武蔵五日市駅前-自宅
【 車 種 】 ランドナー
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関東のサイクリストにとって、道志は良く知られた場所だ。その中でも代表的な峠、巌道峠を走ることにした。
8時に上野原駅を出発。桜井トンネルを抜けて、安寺沢(あてらさわ)川沿いの集落に入る。
途中、霜が降りた土手の段々畑を耕している方をお見かけする。集落は結構奥まで続いている。
1988年に開通した林道によって、道志-秋山間は、西の都留市や東の藤野へ迂回することなく車の通行が可能になったという。集落の人達にとっては待ち望んだ道なのかもしれない。

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道路脇に原形のまま保存されている郷倉。江戸時代に年貢米などを貯蔵した。 IMG_0013z
峠には9時半過ぎに到着。標高は795m。写真は峠全景。脇には林道開通記念碑がある。
右手に山道へ続く階段がある。
昔はマユや絹糸が道志から上野原の市へ峠を超えて運ばれたという(※1)。
なお「甲斐国志」には強盗坂、強盗峠と記述されているが、ガンド、すなわち岩のある峠のことだそうだ(※2)。その後、強盗峠という漢字を当てたのは、やはり追剥ぎなどの危険があったのだろうか。
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峠直下で道は二手に分かれ、左は野原林道。恐らく舗装であろう。
今回は右へハンドルを向けるが、砂利道の上、かなりの急勾配だ。押しながらノロノロと下る。
この急勾配のため、昔は下から登ると峠の場所を見間違えることから「ソラツ峠」、つまり「空ツ峠=からの峠」とも呼ばれたという(※1)。
下り終えると国道413号(道志みち)に合流する。
あくまで昔の話です。今は舗装かもしれませんので、最新の情報をご確認下さい。IMG_0035z
道志みちは細かな起伏が多く、結構足に応える道だ。
途中で北に別れ、大川原橋を渡って舗装された林道を登っていく。
途中で落ち葉掃きのお仕事中の方とご挨拶。励ましのお言葉も頂戴して、感謝、感謝。
地元の方とのふれあいも、ツーリングの楽しみですね。
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この大川原天神峠、かつて大川原や青根の集落で副産物として織られた絹織物が、厳道峠同様、上野原の市へ運ばれたそうだ(※3)。どの峠道もそうだが、集落の人にとっては生活の為の道なのだ。

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庚申塔。綱子の集落にて。
側面に「庚申供養」、「宝暦」の文字がある。江戸時代のものだろうか。

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とりあえず藤野駅前でひと休み。時刻は12時半、時間も何となく中途半端なので、思い切って和田峠を越えて八王子に抜けよう。2年前は新醍醐峠から下っての和田峠であったので、今回は逆ルートである。
車道は12%勾配表示の箇所もあり、もはや足も売り切り寸前だ。途中で埼玉から自走してきたというMTB氏と一緒になって、峠までお互い励まし合いながら登っていく。
峠の標高は688m。陣馬山の登り口に当たるせいか、茶屋の前には小型バスなども停車して賑わっている。
ちなみに「和田」は峠の西側の集落名だ。東の集落名(現在の恩方)から「案下峠」とも呼ばれた(※3)。その「案下」とは、峠に似たもので片方が急になっている場所を呼ぶ「アゲ」が「アンゲ」に変化したという説がある(※4)。確かに峠から恩方への下りは急である。
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一息入れた後、件のMTB氏と一緒に、(旧峠とは別に林道上の新)醍醐峠へ登ることに決める。車に追い立てられながら急勾配の道を下るよりは、静かな林道を走る方が良いという判断だ。それに、少しだけ登ればすぐに峠に到着出来る。ダートな道をMTB氏は猛烈なスピードで登り、瞬く間に姿が見えなくなる。
それにしても醍醐川に沿った道は、しっとりとして雰囲気の良い道だ。こんなに良い雰囲気だったなんて、2年前のことはすっかり忘れてしまっていたなぁ・・・。
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MTB氏と別れてからも、勢いというものは恐ろしいもので、そのまま盆堀林道へ進み、新入山峠を目指すことにする。
途中、入山トンネル脇の急斜面で、猟犬を連れた数人の猟師が獲物を引きずって降りてくる場面に出くわす。大きさから見て、猪だろうか?これから八王子へ売りに行くようだ。5万円で売れればなあ、なんて声が聞こえてくる。
その後、新入山峠を越えて、武蔵五日市駅前から家路についた。

(参考文献)
(※1)「県別ふるさとの民話37 山梨県の民話」(日本児童文学者協会 偕成社 1982年)
(※2)「甲斐の山山」(小林経雄著 新ハイキング社 1992年)
(※3)「かながわの峠」(植木知司著 かもめ文庫 1999年)
(※4))「多摩の地名」(保坂芳春著 武蔵野郷土史刊行会 1979年)


後にも先にも狩猟の現場を見たのはこれが最後です。
この後、世田谷の長谷川自転車商会さんに寄って、今日のツーリングの話をしながら、美味しいコーヒーを頂きました。良い思い出です。
それではまた次回!
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さいたまクリテリウム2014観戦レポート

最近イベント用にカメラを買ったのではしゃいでるスタッフKです。

先日25日(土)に行われたさいたまクリテリウムを観戦してきました。

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11時の時点でパブリックビューイング前の場所、前列が埋まってしまったため、このように3列目での写真になっています。

ご存知の通り、さいたま新都心駅前で行われたさいたまクリテリウムですが、そちらの観戦レポートになります。

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10時の開会式では、さいたま市長や、駐日フランス大使の開会宣言があり、その後、プラチナサポーターと、応募で当選した方の一般走行会がありました。

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痛チャリや、ネタ自転車乗りの方がほとんどいらっしゃらなかったので、特に観戦せず、会場内と、同時開催されていたサイクルフェスタの方に行ってみました。

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会場内では同時開催のさいたまるしぇが開催されており、フランス料理やワイン、シャンパンが楽しめました。

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グッズ、物販もありTシャツやキーホルダー、ウェアなどなどが販売されていました。
自分はTシャツとボトルを購入。

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サイクルフェスタの方では、試乗会、展示、模擬店や、イベント、パブリックビューイング席がありました。

また、中央のイベントスペースでは子供向けの自転車乗り方講習会や、BMXのショーがあったりとスポーツ自転車乗らない人でもかなり楽しめる内容に
なっていました。

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また、普段のスポーツ自転車イベントとは違い、親子連れがかなり多かったのが印象的でした。
そういうこともあってか、普段試乗会では見かけないジュニアロードも数多く展示、試乗されていました。

ただ、今回の試乗会は会場が狭かったということもあり、試乗するまでにかなり並ばないといけない(一定間隔ごとに走行)ため、ちょっと物足りない部分はありました。

それで、肝心のレースですが、ポイントレースはサイクルフェスタのほうにほとんどいたため、どうなったか不明でしたが、メイン会場で観戦していた友人の話では、メインレースよりかは盛り上がらなかったが、こっちのほうが面白かったとも言っていました。

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写真は移動中、歩道の上で偶然選手たちがきたので、撮影しました。
ポイントレース1回目後半のものです。
ここの反対側が丁度メインレースの山岳賞ポイント計測地点となっています。
斜度は7%程らしいのですが、選手たちからしたら距離もないので、山岳というものでもないので、若干強引な賞とも言えます。(笑

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その後、2戦目のポイントレースも観戦してきました。
ニーバリ選手かっこいいです・・・。
結果はデマール選手が勝利、ニバリは2位でした。

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また、このレースで引退の盛選手がニバリと一緒に逃げ、レースを盛り上げていました。

メインレースは、先導車の誘導のもと、パレードランが行われ、1周3.1km、20周合計、62.0kmのレース。

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1枚目に載せた写真にある通り、先頭はニーバリ、マイカ、フルーム、サガンが先導。

レース終盤は会場全体がすごい盛り上がりで写真を撮るのを忘れてしまいましたが、
残り2周で新城と別府が逃げ、会場が大興奮に、しかし、半周で吸収され、ニーバリが折り返し地点前の坂道で逃げを開始、パブリックビューイングで見てましたが、60km走って、この加速ができるとは・・・。と、世界の凄さを体感。

しかしそのニーバリの逃げを許すわけもなく、他の選手(キッテル、クリツォフ、サガン)が最後のストレートでハンドルを投げ合う。
新城は車体1台分後方で検討するも入って行けず5位、最終的にキッテルが優勝となりました。

といった感じで長々となりましたが、かなり楽しめる内容となっていました。
フランス大使も来年もまた開催したいと言っていたので、来年こそは会場内で観戦したいと思います。
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埼玉県秩父 文殊峠越え/サイクリングの記憶

前回の追憶のサイクルツーリングは「群馬県・万騎峠から二度上峠へ」でした。
今回は埼玉県秩父地方の文殊峠へのサイクリング”記憶”です。
それでは・・・。
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■年月 2007年4月
■走行ルート 西武秩父駅(輪行)-国道299号(赤坂峠-千束峠)~文殊峠~国道299号-西武秩父駅
■走行距離:約45キロ
■丸石ランドナー

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今日もやっぱり「朝寝坊」。結局、西武秩父駅を出発したのは13時近くとなってしまった。
駅から国道299号を走り、小鹿野を目指す。
久しぶりのサイクリング。ハンドルがフラフラと不安定なのは、レディーメイドな新車のポジション出しがまだ出来ていない、という理由だけではないだろう。
トークリップの蹴返しにも慣れた頃、松井田で国道に別れを告げ、ようやく車に気を使わない道となった。

たしかALPSのパスハンターをお店へ修理で出していた時の頃です。
ALPS号が使えない時用に1台買おうということで、市販車の丸石エンペラー号を購入した訳です。
フロントはTAゼファーに換装し、最小クランクは24T使用しております。

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若から嬲谷へ、沢沿いを進む。沢の名前は「釜ノ沢」で良いのかな。峠直前にて、景色もここでようやく開けた。
正面は山肌の削られた武甲山だろうか?

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文殊峠の命名は、麓の山荘の主人でもあり、天文台も建てた方によるそうだ。(注)
(注)「新ハイキング -釜ノ沢五峰から文殊峠-」(No.533号 2000年3月)より
峠の標高は550m位。となると標高差は300m程か。うーむ、体力の衰えは予想以上(^^;
峠には、日光・金精峠の神社を勧請した金精神社がある(平成4年建立)。
その反対側に天文台と私設の東屋が設営されている。
まだ昼間なのに、思わず空を見上げてしまった。
ここなら満天の星空に浸れるだろうな。
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神社の奥から布沢峠へ空身で歩いてみる。路は明瞭。
誰もいない山路。すぐ隣でウグイスの鳴き声がする。その声が止むと再び静寂が訪れる。
峠まで歩きたかったが、朝寝坊が祟って時間も押しているため、モミの大木を過ぎ、小さな祠(山の神)の辺りで撤退することにした。
心残りだけれど、いつか訪れる日まで。
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さて、あとは下るだけ。
仕事で使う原付の太いタイヤにすっかり慣れてしまったせいか、35Aがとても細く感じる。
いやー、怖くて怖くて、とてもスピードが出せない。
ソロソロと下っていたら、頭に小石がコツン。落石に遭遇してしまった。

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左手に文殊堂をやり過ごし、しばらくは集落の中を走る。
小鹿野から西武秩父駅へ帰るには、車に神経を使いながら、もうひと峠ふた峠を越えなくてはならない。
もちろん行きもそうだけど、・・・これが嫌で嫌でネ(笑)。
ブランクと日頃の不摂生は相当酷く、筋肉痛でペダルが漕げなくなってしまった。
こんなの初めてだよ。かなりショックだ。
何はともあれ・・・、一歩一歩進んでいこう。
どんなに遅くたって、歩みを止めなければ、峠はいつか越えられるのだから。

仕事が忙しく、サイクリングの時間がなかなかとれない合間の、久しぶりのひとときでした。
かなり体力が落ちて、ヘバっていることが文章からわかりますね(苦笑)。
まぁ、その人の年齢や体力に応じた運動が出来ることが、サイクリングの魅力でもありますから。マイペースで進めば良いのです。。。

それでは今回はこの辺で!
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