埼玉・子の権現様と周辺の峠(サイクルツーリングの記憶)

「子(ね)の権現様」は、足腰の守護と言われており、サイクリストにはぴったりのお寺です。今回は奥武蔵、次回は五日市の子の権現様と各地にあるようですね。
という訳で、権現様に参拝後、付近の峠も一緒にパスハンティングすることにした訳です。果たして御利益の程は・・・。


【 年月日 】 2002年10月
【 ルート 】 西武鉄道 吾野駅−R299−吾野・飛村林道−栃屋谷林道−権五郎神社−並沢−双沢林道−子の権現様−子の山林道−天目指峠−原市場名栗林道−仁田山峠−r350−倉掛峠−r70−西武鉄道 飯能駅
【 車 種 】 ランドナー

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西武線吾野駅を午前9時過ぎに出発。
高麗川に沿ってR299を東に進み、西武線の高架を潜りENEOSのガソリンスタンドを通り過ぎると、右手の川に掛かる南天神橋という小さな橋が現れる。そしてこの橋を渡るとすぐに、林道「吾野・飛村線」の入り口があった(写真)。
入口の民家を過ぎると、いきなりの急坂だ。地図からして予想通りだが、朝一番の上り、それも体が慣れる前の激しい運動の為、早くも心臓がバクバクだ。暫く地面に座り込み、水分を補給しながら呼吸を整える。 
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上りきったあとは飛村のT字路に向けて一旦下る。
そのT字路は右折し、林道「栃屋谷線」に入る。再度の上りだ。
そして林道上のピークに到着(写真)。覚悟はしたが、やぱりキツい。休憩がてらに付近をウロウロしていたら、道から外れた右手に祠を見かける。名も無き峠だろうか?
続いて栃屋谷方面へ向けて下るとY字路にぶつかる。ここでようやく「子の権現・あと4キロ」の案内板がある。
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Y字路には、赤い鳥居の権五郎神社がある。平安末期の保元の乱に登場する片目の武将、鎌倉権五郎景政を祀っているそうだ。(※1)。

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静かに佇む集落の坂道をゆっくり上る。
実はこの道が権現様の本参道で、大正時代には縁日では参拝者で大変な賑わいをみせ、茶店も道に並んだという(※1)。

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並沢のY字まで来れば、分岐を右折して林道「双沢(ならびさわ)線」に入る(写真)。あと1.5kmの表示あり。ここから又もや急坂だ。

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杉林に囲まれた静かな坂道を息を切らしながら一心不乱に上っていると、上の方から鐘の音が聞こえてくる。荘厳な響きが何とも心地よい。目的地まであと少しだ。
更に上っていくと「残り300m・急坂あり」の案内板がある。急坂って、今までのは急坂じゃないの?とブツブツ言いながら進むと、ごらんの通りの”激”坂だ。上っていく軽自動車が本当に大丈夫か心配して見ていたほどだ。

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やっと権現様に到着。門の手前に自転車を停めて、2体の仁王様が控える中を本堂に向かう。
平成14年第19号の「子の権現」誌によると、お寺に水道は通っておらず、湧き水を溜め、それをポンプで汲み上げているそうだ。風呂や洗濯等には雨水を利用しているとのこと。山寺ゆえの大変な生活だ。

ところで「子の権現様」は、正式名称を大鱗山雲洞院天竜寺と言う。天長9年(832年)、神々から剣を口の中に突き通された夢をみて懐妊した紀伊国の阿字女という処女から、子年子月子日子刻に誕生した子ノ聖が、東北の羽黒山から聖地も求めて般若経を投げたらこの地に落ちた。その聖光を頼りに当地を踏むが、寝ている隙に悪鬼の火攻めにあって腰から下に火傷を負ってしまう。その時、瞑目して祈念すると、突然天竜が現れ、雨を降らして猛火を消してくれたそうだ。それ以来、腰から下の病気に霊験があるという(※1)。
ちなみに、修行中の身でありながら、通りがかった美しい女性と恋に落ちて、その女性と焚き火をした時に、火が野原に移ったのを気がつかずに火傷を負ったと言う話もある(※2)。やはり火遊びはホドホドに。(^^;

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写真は境内にて。左は昭和38年に奉納された重さ2トンの大きな草履だ。奥には赤と白の下駄もある。そして写真右は本堂。「どうぞ健脚になりますように。」
本堂の裏手の小さな丘には鐘がある。先ほど聞こえた鐘の音は、この鐘だったのかもしれない。その後、境内でお守り2つと、参道に1件だけある茶屋でキーホルダーを購入。計1500円也。

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参拝も無事終り、次は天目指峠を目指す。
林道「子の山」線」で上久通まで一気に下る。そして今度は天目指峠へ向けて再び上り返す。もう疲れて足も回らず、押しの多用だ。
写真はその天目指峠。峠には開削記念の銘板がある。旧峠は西の高畑山方面に少し入ったところにあるようだが、残念ながら現地では確認しなかった。

ところで、「天目指峠」の命名の由来はご想像つきますか?名前からして古代の天女伝説でもありそうな感じだが、峠の案内板を要約すると以下のとおりだ。”天目”はこの付近の方言でアマメ、豆柿を意味し、この辺りは柿が非常に豊富だった。また”指”とは、山を焼いてその後に種を蒔く焼畑のこと。やはり当て字だったのだ。

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天目指峠を下り、名栗湖手前を東に左折して林道「原市場名栗線」の上りへ。
まだ緑の景色だが、秋の気配がどことなく感じらる。

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名栗村と飯能市の境界線上にある、切り通しの仁田山峠に到着。「ニタ山」とは湿地帯にある山の意味だろうか?峠の杉の木に大きな藤が巻きついていたので、藤巻峠とも呼ばれたそうだ(※2)。また、道路脇に木の鳥居がある。この山の遥拝所だろうか?

峠からは更に上りが続く。そして上り返しも多いので、とうとう足が痙攣してしまう。先ほど権現様で足腰守護のお守りを買ったのに(;^_^A

さて、いよいよ残る峠もあと1つだ。
林道を下ってr350に合流する。飯能へ向けて下っていると、道路脇右手の草むらに何やらガサゴソ動く気配が。最初は犬かと思い段々近づいて行くと、それは何と野生の鹿だ。慌てて写真を撮ろうとするが、あっという間に山肌を駆け上がって消えて行った。
まさか車も頻繁に通るこんな道で鹿を見るなんて・・・。目の前を通り過ぎる車をよそに、一人で興奮した。

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入間川方面へ軽く上り返せば、すぐに倉掛峠だ。
地元の方のお買い物自転車も通る、こちらも綺麗な切り通しの峠だ。少し下ったところに峠の開削工事記念碑もある。

これで今回の目的はすべて終了。あとは飯能駅まで緩やかに下って行くだけだ。
途中の入間川沿いでは、ちょっとしたダートを楽しむ。15時に駅に到着した。

東京は五日市の「子の権現様」にも訪問しております。
その記憶はこちらです!


(参考文献)
(※1)「秩父奥武蔵 山と伝説の旅」(神山弘著 金曜堂出版 1985年)
(※2)「増補ものがたり奥武蔵」(神山弘、新井良輔著 金曜堂出版 1984年)

自転車パーツ「カンパニョーロ50周年」を買取させて頂きました。

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栃木県のお客様よりカンパ50周年モデルをお売り頂きました。
有難うございました。
写真の通り、銀バッジがやはり良いですね。創業が1933年ですから、この記念モデルが発売されたのが1983年、奇しくも創業者のトゥーリョ・カンパニョーロが逝去したのと同じ年でした。
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その時代のカンパのカタログがありましたので、掲載してみました(クリックで拡大します)。
その内、ツーリングモデルの紹介文がなかなかでしたので引用してみましょう。

スポーツツーリングを行うということは、プロレスに勝つということと同じことではないのは明らかである。しかしながら、自転車スポーツ愛好者には共に走るパートナーと競うという気持ちと、小春日和だけ自転車で走ってみるという人々とは違うという精神が常にある。
それ故に、これから多くのサイクリング愛好者の中に、自らの自転車機能を理解したいという繊細な気持ちがみられる。(中略)ツーリング用自転車には全レベルの要求を満たす、すなわち走者の可能性を計算し、不要な労力を省くという部品校正が必要である。労力を要するサイクリングを成し遂げるために変速に伴う小さな雑音(すなわちまさつと労力消耗)にも特殊な配慮が要る。

かなり仰々しい訳文?なのかもしれませんが、フラッグシップとしてのカンパの自信が現れている文章ですね。1年後の1984年、シマノからインデックス機能がいよいよ登場し、ここからカンパ VS シマノの競争時代に入っていく訳です。


三月銀輪館では最新のパーツからクラシックパーツ/オールドパーツ/ビンテージパーツを買取させて頂いております。未使用品なら更にUP、使用品でもOKです。
是非一度、三月銀輪館のサイトまたはフリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時/年中無休)までお気軽にご相談下さい。お待ちしております!

中津峡から八丁峠、小鹿野へ(サイクルツーリングの記憶)

今回の「サイクルツーリングの記憶」は、季節外れとなってしまいましたが、紅葉の秩父路です。それでは・・・、


【 年月日 】 2002年10月末
【 ルート 】 秩父鉄道三峰口駅−R140−r210−金山志賀坂林道(八丁隧道)−R299−小鹿野(小鹿神社/一本杉峠/秋葉神社)−西武秩父駅
【走行距離】 約87キロ
【 車 種 】 ランドナー


朝の8時に秩父鉄道の三峰口駅に到着。ホームで吐く息は既に白い。指切りグローブの指先に冷たさを感じながら、体をほぐすようにゆっくりペダルを回す。
駅前からR140を進む。滝沢ダム建設中のためか大型ダンプが多い。雷電廿六木橋(らいでんとどろきばし)のループ橋を渡り、r210に進むと、この状態が更に酷くなる。1車線の道をクラクションを鳴らしながら大型ダンプがひっきりなしにすれ違う為、こちらはその隙間をぬって走り抜けるしかない。
しかし工事現場を過ぎてからは大型ダンプの姿は見えなくなり、ようやく落ち着いた。
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中津峡は絶壁が続くダイナミックな渓谷美が楽しめると言われている。
「新編武蔵風土記稿」によれば、「両岸は断崖絶壁にして、進退ここに極まるような所もあり、見上げても太陽さえ見えないほど谷は深い。(中略)他の山国は知らず、秩父郡第一の難所なり」と記されているほどだ(※1)。現在でもその谷深さは実感出来る。

中津峡で充分に紅葉を味わった後、小倉沢にあるニッチツの鉱山集落へ入る。
現役の鉱山である一方で、廃校になった小学校跡や、多数の崩れそうな廃屋などが見られ、その場所だけ時間が止まっているようだ。けれども古くは武田氏の金鉱採掘にはじまり、戦前の活性期には、商店や病院、ダンスホールまで存在した鉱山街だった(※2)。
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集落の端から金山志賀坂林道が始まる(写真)。道も狭くなり、いよいよ林道の風景だ。
途中、梯子の掛かった八丁峠への峠道入り口がある。その峠道の距離は八丁(約872m)にして峠名の由来になっている(※3)。

ひとしきり上った後、ようやく八丁隧道(写真)に到着する。時刻は12時丁度だ。
このトンネルは、明かりが全く無い中を約900m走り抜けるため結構怖い。ライトを点灯させて吸い込まれるように中へ。
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トンネルを抜けるとご覧の展望だ。
中津峡側は絶壁で展望が望めなかっただけに、この眺めはとても嬉しい。

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写真は下りの一コマ(自転車の向きが反対です)。
景色の良い中を、気持ちよく飛ばす。

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秩父への帰り道で5万図を眺めると、途中の小鹿野に「一本杉峠」、「団子坂峠」という2つの峠が並んでいたので、寄ってみることにする。
かつて困民党が終結したいう小鹿神社の脇から静かな小道を進むと、「四季の道・小鹿野」というハイキングコースに入る。(地図は小鹿野町観光協会のサイト様を御覧下さい。)残念ながら現地のコース図には峠の場所は記載しておらず、見当をつけながら急勾配の坂を押し上っていくしかない。

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上りの途中で赤い鳥居の近くに寄ると、そこから一本の大きな杉の木が見えた。「一本杉峠」の杉の木だ(写真)。木の根元には小さな祠もある。この木はきっと、峠の神様なんだろうなぁ・・・。
今度は東に上り、秋葉神社にたどり着く。「団子坂峠」は更に東へ進むと思われるが、道が険しいため諦める。いったん引き返して別のルートから探索を試みるも、結局分からなかった。

落ち葉を踏みしめ、タイヤを泥だらけにしながらR299へ復帰する。
小鹿野から最後のひと山を越えて、西武秩父駅には15時過ぎに到着した。


(参考文献)
(※1)「秩父の峠」(大久根茂著 さきたま出版会 1988年)
(※2)「山村と峠道」(飯野頼治著 エンタプライズ 1990年)
(※3)「日本山岳ルーツ大辞典」(竹書房 1997年)


埼玉県は秩父・奥武蔵と峠が多く、自転車で走るにも徒歩で歩くのも、好条件です。
電車も東京都心から出ており、輪行にも最適です。
是非、埼玉県へサイクリングでお越しください!

山梨 穴路峠から旧雛鶴峠へ(峠歩きの景色)

今回の<峠歩きの景色>は2003年の12月、とある平日の朝に訪れたものです。
年末の平日という時期もあり、ハイカーとは全く会わず、ちょっと心細い峠歩きだった記憶があります。


穴路峠とは何か縁があるのかもしれない。

そもそもは以前のニューサイクリング誌(2001年2月号No.442)で、三上昭氏が「光をパッと浴びる峠」と紹介されてから気になっていた。
そしてALPSさんで「旧峠を訪れる山みち入門コース」をご相談した時に、この峠を薦めて下さった。「道はハッキリしているんだけど、何となく道を外れたような気がして少しばかりスリリングだよ(笑)。」

ここまで不思議と条件が揃えば、あとは訪れる時を待つばかりだ。パスハンを同伴しようと思ったが、徒歩のスピードは自転車とはまた違った景色が見えるだろうと思い、今回はゆっくり歩きで味わうことにした。

駅前からバス停「たけのり入口」までは、国道20号を東に進む。この辺りの舗装路歩きは自転車と違って少々もどかしい。バス停を右折して踏切を渡ると眼前に山並みが広がる。道なりに下り、桂川に架かる虹吹橋を渡って丘の上にある小篠の集落へ向かう。
集落の中では道標に従って山道へと入る。貯水池を右手にやり過ごし、濡れた落ち葉を踏みしめながら沢沿いを進む。
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(沢沿いの為、小さな石がゴロゴロしている )

所々に道標があり、また木々にテープが結んであるので少しは安心した。けれでも平日の朝早いせいか人っ子一人と出会わず、「熊出没注意」の黄色い看板もあって、少々心細い。そして路面は小さな石がゴロゴロして歩きにくい。歩幅を靴幅まで狭め、足を前に置くように腰でリズムをとりながらゆっくり歩いていく。

駅から歩いて約1時間半、高畑山との分岐点に到着。登山ガイド本では「石仏」と記載してあり、今では台座しか残っていないが、その代わりに小石が積み上げられいる。お賽銭も供えられていた。
山歩きは予想以上に大変だ。思わず手袋を脱いで合掌する。ここまで無事に辿り着けたことを感謝し、これから先も、どうか安全に歩くことが出来ますように・・・。昔の人が何故に神仏を峠道に祀ったのか実感出来る。
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分岐を左にとってからは、行く手に大きな岩が増える。その表面は苔むして緑色に染まっている。そして飛び石で沢を渡るところもある。今日は、先に3日間続いた長雨からはまだ何日も経っていない日だ。水量も恐らく普段より多いだろう。
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石仏から約40分後、ようやく沢から離れ、九十九折りで山肌に取り付く。しばらくは薄暗い林の中を進むが、やがて目の前がパッと開ける。よし、もう峠は近いぞ。

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やっと峠についた!標高は845m、綺麗な切り通しの小さな峠だ。道の端に座り込み、リュックを降ろし靴を脱ぎ捨て、水筒の水を口に含む。これでようやく一息だ。
あらためて周囲を見渡せば、東西に高畑山と倉岳山の尾根道が延びている。正面に見えるのは棚ノ入山だろうか?鳥の囀りも聞こえることなく、かすかな風の音だけが感じられる。この雰囲気をしばし満喫しよう。

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穴路峠は別名「アナシ峠」とも呼び、アナジ、アナシとは北西風の方言ということから、冬に峠を越す厳しさから名付けられたとの説がある(※3)。また「穴師(鉱山師)が超えた峠」に由来するとの説も(※5)。集落名をとって「小篠峠」とも呼ばれた(※2)。
昔の無生野の人たちは炭を背負って鳥沢宿まで歩いた(※1)。男たちだけでなく女や老夫婦も炭俵を背負った(※2)。現在よりもっと荒れた道を粗末な装備で越えたのだ。熊などの野生動物の危険もあっただろうに。
第一、峠なんて本当は歩きたくなかったに違いない。平坦な道の方がどれだけ安全なことか。それゆえ無事に越えることが出来た時には心から安堵したことだろう。

開発の波から逃れた代わりに、本来の目的を終えた峠は、そんな感傷を自分に抱かせてくれた。
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無生野に向かう道は、先ほどの登り道に比べれば格段に良い。これなら自転車でソロソロと降りられるかなと思ってしまう道だ。けれども沢沿いの道はやはり難儀である。

峠から約1時間後、県道脇の民家が見える。峠越えもようやく無事に終わった。いやいや、お疲れ様・・・。

この後は旧雛鶴峠へ足を向けることにする。その前に雛鶴姫のお墓参りをしよう。県道を渡った反対側に案内版があり、一本の山道が延びている。そこを300メートルほど歩けばひっそりとお墓があるのだ。
墓前で手を合わせた後、再び県道に戻り、雛鶴神社にも立ち寄る。境内には雛鶴姫の石像がある。
再び県道を歩き、旧道へ分岐して、抗門手前の左手から山道に入る。IMG_00721
旧雛鶴隧道(秋山村側)

途中で鉄塔をやり過ごし、15分ほどで峠に到着する。標高は800m、こちらも綺麗に鞍部を残している。
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旧雛鶴峠。別名大ダミ峠とも呼ぶ(※1)。天神峠の別名もあり、先の穴路峠など、道志山塊の二十余りの峠は、どれもそのように呼ばれたそうだ。いずれもかつては峠に天神社があったという話である。ここで言う天神とは塞の神のことではないかと推察されている(※4)。

これにて本日の峠巡りは全て終了。疲れはしたが、充実した峠歩きだった。
やはり昔ながらの峠は良いものだ。これからも峠歩きを続けていこう。


峠歩きの景色は、まだ幾つか記録が残っております。
順次公開して参りますので、どうぞお楽しみに。


(参考文献)
(※1)「甲斐の山山」(小林経雄著 新ハイキング社 1992年)
(※2)「尾崎喜八詩文集5 雲と草原」(尾崎喜八著 創文社 1958年)
(※3)「山梨百名山」(山梨日日新聞社 1998年)
(※4)「峠の神」(岩科小一郎)(「こころの旅1 峠」岡部牧夫編 大和書房 1968年)
(※5)「山名の不思議」(谷有二著 平凡社ライブラリー 2003年)

折り畳み自転車(ダホンMu SL)をお売り頂きました。

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埼玉県にお住まいの方よりフォールディングバイク、ダホンMu SLの2011年モデルをお譲り頂きました。有難うございました。
ダホンも意外と?歴史が古く、第一号機は1982年だそうです。もともと、折り畳み自転車自体にも歴史もあり、当初は軍用自転車として発展していきました。
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『自転車の歴史 200年の歩み・・・誕生から未来車へ』(ドラゴスラフ・アンドリッチ、ブランコ・ガブリッチ著、ベースボール・マガジン社、1992年)によると、「1895年、フランス陸軍第87歩兵連隊のジュラール大尉は、おそらく世界で初めて折り畳み式の自転車をつくる。重さはわずか14キロ。1分以内に折畳み、二つの車輪を重ねて背負うことが出来る」とのこと(写真も引用)
本の写真を見ると、今の折りたたみ方式と良く似ていることが分かります。

軍用以外でも、日本ではワンタッチピクニカなど、親しまれた自転車もありましたが、本格的なサイクリング用として認知されたのは、上記のダホンやブロンプトンなどが有名だと思います。

あえて不利な点を挙げれば・・・、車輪が小さいので漕ぐのを止めると止まりやすいこと(慣性モーメントですね)、リヤディレーラーが地面に近いので、ちょっと気にする点があるかもしれません。しかし、その点を上回る楽しさが、折畳み自転車にはありますね。

三月銀輪館では折り畳み自転車やミニベロ(小径車)を買取しております。ダホンやブロンプトン以外でも、アレックスモールトンや、オーダーメードではいちかわさんのリバーワンなど、多種に対応させて頂きます。
まずはお気軽にフリーダイヤル:0120-68-3196/10-20時)または三月銀輪館のサイトよりご相談下さい。お待ちしております!

 

NJS認定ピスト(競輪)自転車 ヘッドマーク当てクイズ!その2

前回は昭和59年(1984年)10月現在のNJS登録自転車でした。今回は第2弾、2年後の昭和61年(1986年)1月の一覧表です。

前回と比べて、増えたのは実は3工房しかありません。それでは早速、抜粋して・・・、
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如何でしょう?
一番左は、よーくみますと、英語表記があるので分かります(^^;
中央の工房はすでに閉鎖、一番右は、現在も有名ですが、マークが今とは違います。
それでは正解を・・・
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クワハラは、BMXで有名になった桑原ですね。
ウノ(サイクル工房フジシロ)は知る人ぞ知る千葉の工房。
オオタキは大瀧製作所で、今のマークはこちらのサイト様で確認できます。

それでは、前回の復習?を兼ねまして、残りの分を一気に・・・。
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(左上から)
・富士フェザー
・丸石
・エ
ベレスト
・片倉シルク
ビナス
・キングスピード
・ブリヂストン
・ナショナル
・ケルビム
・シクローネ
・カラビンカ
・レバン
・ナカガワ
・ツノダ・サターン
・KT
・ナンベイ
・アンタレス
・ニシキ
・シャーク
・ハープ
・シマザキ
・ラップ
・メビウス
・フカヤnjs-4・ビバロ
・エイメイ
・ワタナベ
・トニー・ダッシュ
・ウメザワ
・サムソン
・レベル
・ヤナギサワ
・ガンウェル
・ジオラマ
・ペガサイクル
・シブラス
・ライトニング
・ヴォーグ
・イリベ
・マエダ
・キヨ ミヤザワ
・プロトン
・レミントン
・ばらもん
・オスカ
・クワハラ
・ウノ
・オオタキ

前回の1984年と比べて、東叡社、フタバ(細山製作所)、大日本自転車の3社が外れておりますね。
という訳で、皆様、楽しんで頂けましたでしょうか。
最後にPRを・・・、三月銀輪館ではNJS認定ビルダーさんのオーダーフレームやオーダー完成車を、ピスト、ロードレーサー、ツーリング車ともに買取させて頂いております。
是非、三月銀輪館のサイトを御覧ください。フリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)もお気軽に。お見積りだけでもOKです!

NJS認定ピスト(競輪)自転車 ヘッドマーク当てクイズ!その1

前回の三連勝ピストをお売り頂きましたお客様から、昭和59年(1984年)10月現在のNJS登録自転車のヘッドマーク一覧表も一緒にお譲り頂きました。有難うございました。
せっかくですので、ビルダー名にモザイクをかけてクイズといきましょう!(正解は最後にて)。

ちなみにNJSとは「日本自転車振興会」の略です。NHKイコール「日本放送協会」と同じように、日本語の頭文字をとった呼び方ですね。その後、2008年にオートレース団体と合併し、現在は財団法人JKAとして運営されております。JKAの意味は、当時の配信記事によると”名称のJは何、Kは何と固定的に考えるのではなく、自転車と小型自動車のJKA、競輪とオートレースのJKAのように両団体のイメージを包含する名称として採用いたしました。”とのことです。(2008年4月1日配信ニュースより

さて、クイズの前に平成27(2015年)年9月1日現在の登録ビルダーさんを確認してみましょう。こちらはKEIRIN.JPサイトの資料室で公開されています。
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(スチール製フレーム)

ブリヂストン ブリヂストンサイクル(株) 埼玉県上尾市
パナソニック パナソニック サイクルテック 大阪府柏原市
ケルビム (有)今野製作所 東京都町田市
マキノ (有)エム.マキノ サイクル ファクトリー 千葉県我孫子市
カラビンカ 九十九サイクルスポーツ 東京都目黒区目
レバン レバンサイクルズ 大阪府河内長野市
ナガサワ ナガサワレーシングサイクル 大阪府柏原市
ナンベイ 南米商会 福岡市早良区
シマザキ (有)シマザキ 東京都八王子市
ラップ (株)根本商会 千葉県松戸市
エイメイ メイズカンパニー 東京都昭島市
ウメザワ (株)ワークセンター 愛知県松山市
レベル (株)マツダ自転車工場 東京都荒川区
ヤナギサワ サイクルスポーツヤナギサワ 東京都北区
ガンウェル (株)岩井商会 京都府京都市
ジオラマ (有)牧田工房 静岡県富士市
シブラス シブラスサイクルズ 茨城県土浦市
ヴォーグ (有)オリエント工業 神奈川県鎌倉市
イリベ サイクル工房イリベ 奈良県奈良市
キヨ・ミヤザワ チクリ・キヨ・ミヤザワ 東京都江戸川区
プロトン (有)下森製作所 岡山県岡山市
ばらもん 自転車工房ばらもん 福岡県久留米市
オスカ チクリ・ベローチェ・オスカ 茨城県結城市
オオタキ 大瀧製作所 東京都品川区
ストラトス サイクルワークスムラヤマ 神奈川県相模原市
ジロ メカニコ・ジロ 福岡県久留米市
ボンバー (株)鶴岡レーシング 埼玉県ふじみ野市
プロシオン サイクルファクトリー・オノ 愛知県豊橋市
プレスト 本城サイクルワークス 鳥取県鳥取市
エンメ・イデア エンメ・イデア・バイシクル・ファクトリー 大阪府大阪市
リンセイ・ラボ 井田製作所 栃木県真岡市
ヤマモト 山本製作所 宮城県仙台市

(カーボン製フレーム)

ボーマ (株)ASK TRADING 埼玉県三郷市
ブリヂストン ブリヂストンサイクル(株) 埼玉県上尾市
ガンウェル (株)岩井商会 京都府京都市
カラビンカ 九十九サイクルスポーツ 東京都目黒区
ボンバー (株)鶴岡レーシング 埼玉県ふじみ野市
エム・ビー・ケー (有)サイクルラインズ 京都府京都市

以上が2015年9月現在のビルダーさんです。

それでは、いよいよ!、31年前の昭和59年(1984年)に思いを巡らせて、ヘッドマークを見てみましょう!

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つづいて、裏面です。
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皆さん、如何ですか・・・?
小職も分かっているつもりでしたが、結構苦戦しました・・・(苦笑)。

それでは正解です。
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(左上から)
・富士フェザー(日米富士)
・丸石
・エベレスト(ツチヤトレィディング)
・片倉シルク
・ビナス
・キングスピード(正製作所)
・ブリヂストン
・トーエイ
・ナショナル
・ケルビム(今野製作所)
・シクローネ(シクロウネ)
・カラビンカ(ツクモサイクルスポーツ)
・レバン(東川製作所)
・ナガサワ
・ツノダ・サターン
・KT(北村製作所)
・ナンベイ(南米商会)
・アンタレス(吉田自転車)
・ニシキ(カワムラサイクル)
・シャーク(忠製作所)
・ハープ(ハープ製作所)
・シマザキ
・ラップ(根本商会)
・メビウス(栗田サイクルスポーツ)njs2
・フカヤ
・ビバロ(サイクルワークショップ・クサカ)
・エイメイ(エイメイ山口製作所)
・ワタナベ
・トニー・ダッシュ(西埜製作所)
・ウメザワ
・サムソン(原田製作所)
・ダイニホン(ダイニホン自転車)
・フタバ(細山製作所)
・レベル(マツダ自転車工場)
・ヤナギサワ
・ガンウェル(岩井商会)
・ジオラマ(上条製作所)
・ペガサイクル(ペガサイクル製作所)
・シブラス(サイクルセンタータマキ)
・ライトニング(イナズマサイクル)
・ヴォーグ(オリエント工業)
・イリベ
・マエダ(サイクルテクニカル・マエダ)
・キヨ・ミヤザワ
・プロトン(下村製作所)
・レミントン(大同機械)
・ばらもん
・オスカ(チクリ・ベローチェ・オスカ)

BSやナショナル以外にも、富士フェザー(日米富士)、丸石、片倉シルク、ツノダ、ニシキなどの完成車メーカーも見られますね。
エベレスト(土屋製作所)、シクローネ、メビウスなど、今は無き工房です。アンタレス(吉田自転車)は今はY’sロードで有名です。トーエイ社もまだNJS登録していました。
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ちなみに、2年後の昭和61年1月の一覧表もあります。皆さん、再チャレンジの準備はOKですか!→それでは、こちらへ!

NJSピストのフレームを買い取り致しました。

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今は無きシクロウネ・三連勝ブランドのピストフレームを買い取りさせて頂きました。
どうも有難うございました。
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パイプはイシワタのスーパーストロング・ダブルバテッド。
BB裏にNJS認定マーク入りです。
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写真は「ニューサイクリング誌1977年6月号」広告より。
法政大学-丸石自転車で選手だった今野義氏が元々「ケルビムサイクル」として設立したお店であり、お兄さんの今野仁氏が「今野製作所」を起こしました。こちらが現在のケルビムですね。
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ブランドは3RENSHO。競輪の予選・準決勝・決勝の3戦をトップで、との由来があります。
ちなみに、そのチームビルダーが、現在のM.マキノサイクルファクトリーの牧野政彦氏でした。
もちろんロードレーサーも製作しておりましたが、NJS認定だけあって、やはりトラックレーサーの印象が強いですね。90年代前後のMTBブームの際にはMTBも作っておりましたので、今現存するならばきっとレアでしょう(^^;
シクロウネ閉店後、3RENSHOスポーツというお店もありましたが(ランドナーがニューサイの表紙も飾りましたね)その関係性などは、残念ながら小職はインターネット以上の情報は把握しておりませんm(__)m
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自転車フレーム・パーツの買い取りは三月銀輪館まで、お気軽にご連絡下さい。
三月銀輪館のサイト又はフリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)までご相談下さい。

ロードバイクのフレームを買い取り致しました。

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埼玉県のコレクター様より、未使用フレームを出張買取でお売り頂きました。
有難うございました。
パイプはコロンバスSLX、リアエンドは126ミリ。
お客様がお散歩用にアップ気味のポジションに変更の為、お知り合いのビルダーさんにて、フォークコラムを溶接して長くされたそうです。
深緑の落ち着いた色合いに、フォーク肩やステーのチネリマークが素敵ですね。

ちなみに、日本でチネリを愛した人は大勢いらっしゃいますが、有名なのがプロレスラーの力道山でしょう。膝の故障予防の為に自転車トレーニングを取り入れた彼は、1960年のローマオリンピックを観戦した時に見たチネリに感服し、早速、スーパーコルサをオーダーします。
創業者のチーノ・チネリがつきっきりで対応した完成車は当時の日本円換算で54万円。当時の大卒初任給が1万5,6千円の時代ですので、給与の丸々3年分という、流石のお値段でした(注)。
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こちらが創業者のチーノ・チネリ(2001年4月没)
農家に10人兄弟の7番目とした生まれ、兄弟で唯一プロのロードレース選手へ。そして第二次世界大戦後の1945年に妻の出身地であるミラノで工房を開いたそうです。
日本で有名になったのは1960年の東京オリンピックでしたね。
(写真は『イタリアの自転車工房-栄光のストーリー』砂田弓弦著アテネ書房1994年より引用)
(注:『イタリアン・ロードレーサー・ミュージアム』カー・マガジン10月号増刊 平成10年より)
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