山梨 穴路峠から旧雛鶴峠へ(峠歩きの景色)

今回の<峠歩きの景色>は2003年の12月、とある平日の朝に訪れたものです。
年末の平日という時期もあり、ハイカーとは全く会わず、ちょっと心細い峠歩きだった記憶があります。


穴路峠とは何か縁があるのかもしれない。

そもそもは以前のニューサイクリング誌(2001年2月号No.442)で、三上昭氏が「光をパッと浴びる峠」と紹介されてから気になっていた。
そしてALPSさんで「旧峠を訪れる山みち入門コース」をご相談した時に、この峠を薦めて下さった。「道はハッキリしているんだけど、何となく道を外れたような気がして少しばかりスリリングだよ(笑)。」

ここまで不思議と条件が揃えば、あとは訪れる時を待つばかりだ。パスハンを同伴しようと思ったが、徒歩のスピードは自転車とはまた違った景色が見えるだろうと思い、今回はゆっくり歩きで味わうことにした。

駅前からバス停「たけのり入口」までは、国道20号を東に進む。この辺りの舗装路歩きは自転車と違って少々もどかしい。バス停を右折して踏切を渡ると眼前に山並みが広がる。道なりに下り、桂川に架かる虹吹橋を渡って丘の上にある小篠の集落へ向かう。
集落の中では道標に従って山道へと入る。貯水池を右手にやり過ごし、濡れた落ち葉を踏みしめながら沢沿いを進む。
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(沢沿いの為、小さな石がゴロゴロしている )

所々に道標があり、また木々にテープが結んであるので少しは安心した。けれでも平日の朝早いせいか人っ子一人と出会わず、「熊出没注意」の黄色い看板もあって、少々心細い。そして路面は小さな石がゴロゴロして歩きにくい。歩幅を靴幅まで狭め、足を前に置くように腰でリズムをとりながらゆっくり歩いていく。

駅から歩いて約1時間半、高畑山との分岐点に到着。登山ガイド本では「石仏」と記載してあり、今では台座しか残っていないが、その代わりに小石が積み上げられいる。お賽銭も供えられていた。
山歩きは予想以上に大変だ。思わず手袋を脱いで合掌する。ここまで無事に辿り着けたことを感謝し、これから先も、どうか安全に歩くことが出来ますように・・・。昔の人が何故に神仏を峠道に祀ったのか実感出来る。
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分岐を左にとってからは、行く手に大きな岩が増える。その表面は苔むして緑色に染まっている。そして飛び石で沢を渡るところもある。今日は、先に3日間続いた長雨からはまだ何日も経っていない日だ。水量も恐らく普段より多いだろう。
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石仏から約40分後、ようやく沢から離れ、九十九折りで山肌に取り付く。しばらくは薄暗い林の中を進むが、やがて目の前がパッと開ける。よし、もう峠は近いぞ。

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やっと峠についた!標高は845m、綺麗な切り通しの小さな峠だ。道の端に座り込み、リュックを降ろし靴を脱ぎ捨て、水筒の水を口に含む。これでようやく一息だ。
あらためて周囲を見渡せば、東西に高畑山と倉岳山の尾根道が延びている。正面に見えるのは棚ノ入山だろうか?鳥の囀りも聞こえることなく、かすかな風の音だけが感じられる。この雰囲気をしばし満喫しよう。

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穴路峠は別名「アナシ峠」とも呼び、アナジ、アナシとは北西風の方言ということから、冬に峠を越す厳しさから名付けられたとの説がある(※3)。また「穴師(鉱山師)が超えた峠」に由来するとの説も(※5)。集落名をとって「小篠峠」とも呼ばれた(※2)。
昔の無生野の人たちは炭を背負って鳥沢宿まで歩いた(※1)。男たちだけでなく女や老夫婦も炭俵を背負った(※2)。現在よりもっと荒れた道を粗末な装備で越えたのだ。熊などの野生動物の危険もあっただろうに。
第一、峠なんて本当は歩きたくなかったに違いない。平坦な道の方がどれだけ安全なことか。それゆえ無事に越えることが出来た時には心から安堵したことだろう。

開発の波から逃れた代わりに、本来の目的を終えた峠は、そんな感傷を自分に抱かせてくれた。
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無生野に向かう道は、先ほどの登り道に比べれば格段に良い。これなら自転車でソロソロと降りられるかなと思ってしまう道だ。けれども沢沿いの道はやはり難儀である。

峠から約1時間後、県道脇の民家が見える。峠越えもようやく無事に終わった。いやいや、お疲れ様・・・。

この後は旧雛鶴峠へ足を向けることにする。その前に雛鶴姫のお墓参りをしよう。県道を渡った反対側に案内版があり、一本の山道が延びている。そこを300メートルほど歩けばひっそりとお墓があるのだ。
墓前で手を合わせた後、再び県道に戻り、雛鶴神社にも立ち寄る。境内には雛鶴姫の石像がある。
再び県道を歩き、旧道へ分岐して、抗門手前の左手から山道に入る。IMG_00721
旧雛鶴隧道(秋山村側)

途中で鉄塔をやり過ごし、15分ほどで峠に到着する。標高は800m、こちらも綺麗に鞍部を残している。
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旧雛鶴峠。別名大ダミ峠とも呼ぶ(※1)。天神峠の別名もあり、先の穴路峠など、道志山塊の二十余りの峠は、どれもそのように呼ばれたそうだ。いずれもかつては峠に天神社があったという話である。ここで言う天神とは塞の神のことではないかと推察されている(※4)。

これにて本日の峠巡りは全て終了。疲れはしたが、充実した峠歩きだった。
やはり昔ながらの峠は良いものだ。これからも峠歩きを続けていこう。


峠歩きの景色は、まだ幾つか記録が残っております。
順次公開して参りますので、どうぞお楽しみに。


(参考文献)
(※1)「甲斐の山山」(小林経雄著 新ハイキング社 1992年)
(※2)「尾崎喜八詩文集5 雲と草原」(尾崎喜八著 創文社 1958年)
(※3)「山梨百名山」(山梨日日新聞社 1998年)
(※4)「峠の神」(岩科小一郎)(「こころの旅1 峠」岡部牧夫編 大和書房 1968年)
(※5)「山名の不思議」(谷有二著 平凡社ライブラリー 2003年)

折り畳み自転車(ダホンMu SL)をお売り頂きました。

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埼玉県にお住まいの方よりフォールディングバイク、ダホンMu SLの2011年モデルをお譲り頂きました。有難うございました。
ダホンも意外と?歴史が古く、第一号機は1982年だそうです。もともと、折り畳み自転車自体にも歴史もあり、当初は軍用自転車として発展していきました。
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『自転車の歴史 200年の歩み・・・誕生から未来車へ』(ドラゴスラフ・アンドリッチ、ブランコ・ガブリッチ著、ベースボール・マガジン社、1992年)によると、「1895年、フランス陸軍第87歩兵連隊のジュラール大尉は、おそらく世界で初めて折り畳み式の自転車をつくる。重さはわずか14キロ。1分以内に折畳み、二つの車輪を重ねて背負うことが出来る」とのこと(写真も引用)
本の写真を見ると、今の折りたたみ方式と良く似ていることが分かります。

軍用以外でも、日本ではワンタッチピクニカなど、親しまれた自転車もありましたが、本格的なサイクリング用として認知されたのは、上記のダホンやブロンプトンなどが有名だと思います。

あえて不利な点を挙げれば・・・、車輪が小さいので漕ぐのを止めると止まりやすいこと(慣性モーメントですね)、リヤディレーラーが地面に近いので、ちょっと気にする点があるかもしれません。しかし、その点を上回る楽しさが、折畳み自転車にはありますね。

三月銀輪館では折り畳み自転車やミニベロ(小径車)を買取しております。ダホンやブロンプトン以外でも、アレックスモールトンや、オーダーメードではいちかわさんのリバーワンなど、多種に対応させて頂きます。
まずはお気軽にフリーダイヤル:0120-68-3196/10-20時)または三月銀輪館のサイトよりご相談下さい。お待ちしております!

 

NJS認定ピスト(競輪)自転車 ヘッドマーク当てクイズ!その2

前回は昭和59年(1984年)10月現在のNJS登録自転車でした。今回は第2弾、2年後の昭和61年(1986年)1月の一覧表です。

前回と比べて、増えたのは実は3工房しかありません。それでは早速、抜粋して・・・、
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如何でしょう?
一番左は、よーくみますと、英語表記があるので分かります(^^;
中央の工房はすでに閉鎖、一番右は、現在も有名ですが、マークが今とは違います。
それでは正解を・・・
njs-4a
クワハラは、BMXで有名になった桑原ですね。
ウノ(サイクル工房フジシロ)は知る人ぞ知る千葉の工房。
オオタキは大瀧製作所で、今のマークはこちらのサイト様で確認できます。

それでは、前回の復習?を兼ねまして、残りの分を一気に・・・。
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(左上から)
・富士フェザー
・丸石
・エ
ベレスト
・片倉シルク
ビナス
・キングスピード
・ブリヂストン
・ナショナル
・ケルビム
・シクローネ
・カラビンカ
・レバン
・ナカガワ
・ツノダ・サターン
・KT
・ナンベイ
・アンタレス
・ニシキ
・シャーク
・ハープ
・シマザキ
・ラップ
・メビウス
・フカヤnjs-4・ビバロ
・エイメイ
・ワタナベ
・トニー・ダッシュ
・ウメザワ
・サムソン
・レベル
・ヤナギサワ
・ガンウェル
・ジオラマ
・ペガサイクル
・シブラス
・ライトニング
・ヴォーグ
・イリベ
・マエダ
・キヨ ミヤザワ
・プロトン
・レミントン
・ばらもん
・オスカ
・クワハラ
・ウノ
・オオタキ

前回の1984年と比べて、東叡社、フタバ(細山製作所)、大日本自転車の3社が外れておりますね。
という訳で、皆様、楽しんで頂けましたでしょうか。
最後にPRを・・・、三月銀輪館ではNJS認定ビルダーさんのオーダーフレームやオーダー完成車を、ピスト、ロードレーサー、ツーリング車ともに買取させて頂いております。
是非、三月銀輪館のサイトを御覧ください。フリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)もお気軽に。お見積りだけでもOKです!

NJS認定ピスト(競輪)自転車 ヘッドマーク当てクイズ!その1

前回の三連勝ピストをお売り頂きましたお客様から、昭和59年(1984年)10月現在のNJS登録自転車のヘッドマーク一覧表も一緒にお譲り頂きました。有難うございました。
せっかくですので、ビルダー名にモザイクをかけてクイズといきましょう!(正解は最後にて)。

ちなみにNJSとは「日本自転車振興会」の略です。NHKイコール「日本放送協会」と同じように、日本語の頭文字をとった呼び方ですね。その後、2008年にオートレース団体と合併し、現在は財団法人JKAとして運営されております。JKAの意味は、当時の配信記事によると”名称のJは何、Kは何と固定的に考えるのではなく、自転車と小型自動車のJKA、競輪とオートレースのJKAのように両団体のイメージを包含する名称として採用いたしました。”とのことです。(2008年4月1日配信ニュースより

さて、クイズの前に平成27(2015年)年9月1日現在の登録ビルダーさんを確認してみましょう。こちらはKEIRIN.JPサイトの資料室で公開されています。
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(スチール製フレーム)

ブリヂストン ブリヂストンサイクル(株) 埼玉県上尾市
パナソニック パナソニック サイクルテック 大阪府柏原市
ケルビム (有)今野製作所 東京都町田市
マキノ (有)エム.マキノ サイクル ファクトリー 千葉県我孫子市
カラビンカ 九十九サイクルスポーツ 東京都目黒区目
レバン レバンサイクルズ 大阪府河内長野市
ナガサワ ナガサワレーシングサイクル 大阪府柏原市
ナンベイ 南米商会 福岡市早良区
シマザキ (有)シマザキ 東京都八王子市
ラップ (株)根本商会 千葉県松戸市
エイメイ メイズカンパニー 東京都昭島市
ウメザワ (株)ワークセンター 愛知県松山市
レベル (株)マツダ自転車工場 東京都荒川区
ヤナギサワ サイクルスポーツヤナギサワ 東京都北区
ガンウェル (株)岩井商会 京都府京都市
ジオラマ (有)牧田工房 静岡県富士市
シブラス シブラスサイクルズ 茨城県土浦市
ヴォーグ (有)オリエント工業 神奈川県鎌倉市
イリベ サイクル工房イリベ 奈良県奈良市
キヨ・ミヤザワ チクリ・キヨ・ミヤザワ 東京都江戸川区
プロトン (有)下森製作所 岡山県岡山市
ばらもん 自転車工房ばらもん 福岡県久留米市
オスカ チクリ・ベローチェ・オスカ 茨城県結城市
オオタキ 大瀧製作所 東京都品川区
ストラトス サイクルワークスムラヤマ 神奈川県相模原市
ジロ メカニコ・ジロ 福岡県久留米市
ボンバー (株)鶴岡レーシング 埼玉県ふじみ野市
プロシオン サイクルファクトリー・オノ 愛知県豊橋市
プレスト 本城サイクルワークス 鳥取県鳥取市
エンメ・イデア エンメ・イデア・バイシクル・ファクトリー 大阪府大阪市
リンセイ・ラボ 井田製作所 栃木県真岡市
ヤマモト 山本製作所 宮城県仙台市

(カーボン製フレーム)

ボーマ (株)ASK TRADING 埼玉県三郷市
ブリヂストン ブリヂストンサイクル(株) 埼玉県上尾市
ガンウェル (株)岩井商会 京都府京都市
カラビンカ 九十九サイクルスポーツ 東京都目黒区
ボンバー (株)鶴岡レーシング 埼玉県ふじみ野市
エム・ビー・ケー (有)サイクルラインズ 京都府京都市

以上が2015年9月現在のビルダーさんです。

それでは、いよいよ!、31年前の昭和59年(1984年)に思いを巡らせて、ヘッドマークを見てみましょう!

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つづいて、裏面です。
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皆さん、如何ですか・・・?
小職も分かっているつもりでしたが、結構苦戦しました・・・(苦笑)。

それでは正解です。
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(左上から)
・富士フェザー(日米富士)
・丸石
・エベレスト(ツチヤトレィディング)
・片倉シルク
・ビナス
・キングスピード(正製作所)
・ブリヂストン
・トーエイ
・ナショナル
・ケルビム(今野製作所)
・シクローネ(シクロウネ)
・カラビンカ(ツクモサイクルスポーツ)
・レバン(東川製作所)
・ナガサワ
・ツノダ・サターン
・KT(北村製作所)
・ナンベイ(南米商会)
・アンタレス(吉田自転車)
・ニシキ(カワムラサイクル)
・シャーク(忠製作所)
・ハープ(ハープ製作所)
・シマザキ
・ラップ(根本商会)
・メビウス(栗田サイクルスポーツ)njs2
・フカヤ
・ビバロ(サイクルワークショップ・クサカ)
・エイメイ(エイメイ山口製作所)
・ワタナベ
・トニー・ダッシュ(西埜製作所)
・ウメザワ
・サムソン(原田製作所)
・ダイニホン(ダイニホン自転車)
・フタバ(細山製作所)
・レベル(マツダ自転車工場)
・ヤナギサワ
・ガンウェル(岩井商会)
・ジオラマ(上条製作所)
・ペガサイクル(ペガサイクル製作所)
・シブラス(サイクルセンタータマキ)
・ライトニング(イナズマサイクル)
・ヴォーグ(オリエント工業)
・イリベ
・マエダ(サイクルテクニカル・マエダ)
・キヨ・ミヤザワ
・プロトン(下村製作所)
・レミントン(大同機械)
・ばらもん
・オスカ(チクリ・ベローチェ・オスカ)

BSやナショナル以外にも、富士フェザー(日米富士)、丸石、片倉シルク、ツノダ、ニシキなどの完成車メーカーも見られますね。
エベレスト(土屋製作所)、シクローネ、メビウスなど、今は無き工房です。アンタレス(吉田自転車)は今はY’sロードで有名です。トーエイ社もまだNJS登録していました。
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ちなみに、2年後の昭和61年1月の一覧表もあります。皆さん、再チャレンジの準備はOKですか!→それでは、こちらへ!

NJSピストのフレームを買い取り致しました。

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今は無きシクロウネ・三連勝ブランドのピストフレームを買い取りさせて頂きました。
どうも有難うございました。
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パイプはイシワタのスーパーストロング・ダブルバテッド。
BB裏にNJS認定マーク入りです。
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写真は「ニューサイクリング誌1977年6月号」広告より。
法政大学-丸石自転車で選手だった今野義氏が元々「ケルビムサイクル」として設立したお店であり、お兄さんの今野仁氏が「今野製作所」を起こしました。こちらが現在のケルビムですね。
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ブランドは3RENSHO。競輪の予選・準決勝・決勝の3戦をトップで、との由来があります。
ちなみに、そのチームビルダーが、現在のM.マキノサイクルファクトリーの牧野政彦氏でした。
もちろんロードレーサーも製作しておりましたが、NJS認定だけあって、やはりトラックレーサーの印象が強いですね。90年代前後のMTBブームの際にはMTBも作っておりましたので、今現存するならばきっとレアでしょう(^^;
シクロウネ閉店後、3RENSHOスポーツというお店もありましたが(ランドナーがニューサイの表紙も飾りましたね)その関係性などは、残念ながら小職はインターネット以上の情報は把握しておりませんm(__)m
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自転車フレーム・パーツの買い取りは三月銀輪館まで、お気軽にご連絡下さい。
三月銀輪館のサイト又はフリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)までご相談下さい。

ロードバイクのフレームを買い取り致しました。

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埼玉県のコレクター様より、未使用フレームを出張買取でお売り頂きました。
有難うございました。
パイプはコロンバスSLX、リアエンドは126ミリ。
お客様がお散歩用にアップ気味のポジションに変更の為、お知り合いのビルダーさんにて、フォークコラムを溶接して長くされたそうです。
深緑の落ち着いた色合いに、フォーク肩やステーのチネリマークが素敵ですね。

ちなみに、日本でチネリを愛した人は大勢いらっしゃいますが、有名なのがプロレスラーの力道山でしょう。膝の故障予防の為に自転車トレーニングを取り入れた彼は、1960年のローマオリンピックを観戦した時に見たチネリに感服し、早速、スーパーコルサをオーダーします。
創業者のチーノ・チネリがつきっきりで対応した完成車は当時の日本円換算で54万円。当時の大卒初任給が1万5,6千円の時代ですので、給与の丸々3年分という、流石のお値段でした(注)。
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こちらが創業者のチーノ・チネリ(2001年4月没)
農家に10人兄弟の7番目とした生まれ、兄弟で唯一プロのロードレース選手へ。そして第二次世界大戦後の1945年に妻の出身地であるミラノで工房を開いたそうです。
日本で有名になったのは1960年の東京オリンピックでしたね。
(写真は『イタリアの自転車工房-栄光のストーリー』砂田弓弦著アテネ書房1994年より引用)
(注:『イタリアン・ロードレーサー・ミュージアム』カー・マガジン10月号増刊 平成10年より)
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三月銀輪館では完成車以外でも、ロードバイク、ロードレーサー、ランドナーやMTBのフレームを買取しております。
フリーダイヤル:0120-68-3196または三月銀輪館のサイトよりお気軽にお問い合わせ下さい。

埼玉 奥武蔵 高麗峠超え(峠歩きの景色)

今回の(峠歩きの景色)はお手軽な日帰りハイキングコースです。
今から8年前の”景色”ですね。


【年月日】2007年3月
【ルート】飯能駅-高麗峠-巾着田-高麗駅


本当は秩父の峠に行く予定を立てていたが、目覚まし時計を止めてハッと我に返ったら既に9時。時間を気にしながらの峠歩きも嫌だなぁと、急遽予定を変更。

以前図書館でコピーをしていたガイドブックを眺め、目に付いたのが飯能駅からの高麗峠。駅から歩けるし、子供の遠足コースでもあるらしいので、難易度も低いだろう。ここなら何も考えずポカーンと歩けそうという事で、そそくさと着替えに入る。
大袈裟な格好は嫌だったので、洗いざらしの古ぼけたジーパンに普段着のシャツを羽織る。そしてデイバッグを担いだ様は、ひと昔前の予備校生みたいな感じ。「山歩きにジーパンとは」とお怒りの向きもあるだろうが、そもそも峠越えは生活に密着したものだしね、と屁理屈をつけて西武線に乗り込んだ。
(・・・と、強がりを書いていますが(^^;、やはりジーパンは良くないでしょう。濡れた時の重さや、伸縮性の悪さはもちろん、見落としがちなのが、足に熱がこもること。かなり不快です。)

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国道299号の西武線高架をくぐった先に[高麗峠」の標柱が立つ自然歩道入口(写真)がある。
なだらかな起伏が続く路の脇には、生き物や草花を紹介したミニパネルが設置されている。
峠まではゴルフ場の高いフェンスが続くが、木々が茂り、展望が利かない代わりにゴルフコースも隠してくれるので、思ったほど気にはならない。

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路ではジョギング中のお爺さんや、手ぶらで歩く人ともご挨拶。山路お散歩コースだ。
ちなみに道幅が広いので自転車を持ち込むことも可能だろうが、飯能側入り口には「二輪車乗り入れ禁止」の立て看板が設置してあったので、念の為。
また路にはところどころ割れたタイルのようなものが敷き詰められている。てっきり暴走自転車除けだと思い、お仕事中の方に尋ねたら、路がこれ以上エグれないように敷き詰めているとのこと。その上から土を覆うとのことで、このような道普請で路が守られており有難いことですね。
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さて、峠には「高麗峠177m」の標柱とベンチが2つあるだけだ。
特に展望も無いので、元気な皆さんは素通りしていく。私は疲れたので当然ひと休み。
そのベンチでお会いした、多武峯山から歩いてきたおじさんの話によると、昔は西側にも路があり、滝へ降りることが出来たそうだ。残念ながら今はゴルフ場のフェンスで通行止め。

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体が冷える前に峠を後にすれば、フェンスも無くなり、あとは無心に歩くだけ。やがて沢に沿った良い雰囲気の路に出たので立ち止まって深呼吸。ふう、気持ちいいー。のんびりしたな~。

あとは飛び石が楽しそうなドレミファ橋を渡って、巾着田へ行けばよいのだが、路上の案内版に「ドレミファ橋はありません」の文字が。仕方なく案内通り「あいあい橋」で巾着田に入る。

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菜の花の咲いている巾着田 は、マンジュシャゲ(ヒガンバナ)の群生地でもあるので、赤い花が咲く秋が見頃だろう。脇には運動場もあり、草野球をやっている。もちろん個人所有の田んぼもある。

高麗駅まで全行程8km位だろうか。
それでも日ごろの運動不足のせいで、帰りの西武線では熟睡だった・・・。

埼玉 奥武蔵 吾野の小さな峠めぐり(峠歩きの景色)

サイクルツーリングで”峠”に興味を持って依頼、標高の低い峠へ歩きで訪れることも多くなりました。そんな昔の”景色”を思い出として綴ってみました。

【年月】2007年4月
【ルート】西吾野駅-三社(みやしろ)峠-大久保峠-梨本峠-吾野駅


今回は西から東へ順繰りと、高麗川と長沢川に挟まれた山脈の小さな峠を訪れることにしよう。
半袖姿のハイカーも見かけた西吾野駅に到着したのは12時半。国道299号を歩き、まずは吾野小学校裏から三社峠を目指すはずだった。

しかし交通量の多い車道歩きと、、また「山と高原地図」で見た峠路の(迷)の文字も脳裏に浮かび、西武線の高架を潜る手前から、早々に山路に逃れることにする。

「安曇幹線348号に至る」の黄色い標柱のある送電線巡視路に入ると、山ノ神の鳥居を高めに見ながら、急な登りが待ち構えている。
小学校のオリエンテーリングコースなのだろうか、ひらがなの書かれた標識が木に掛かっている。こんな急坂を登るとは偉いなぁ。
直登気味の尾根路に、一方のおじさんの心臓は早くもバクバク、木に寄りかかってペットボトルからガブ飲みして大休止。
喘ぎながら登ってピーク地点の送電線の鉄塔をやり過ごし、子供たち用に作られた木製の見晴らし台「トムの家」を過ぎて、「至ル三社峠近道8分」の標識でようやくトラバースに入り、峠に到着。
高山峠の別称もあるので、きっと高山不動の参拝路だったのだろう。
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峠には石の道標もある。(写真右下にて。「右たかやまみち」とあるらしいが、現地では判読不能だった。)

峠から、まずは大窪側へ。
長沢川沿いの入り口(写真)には「三社峠ヲ経テ吾野駅25分・あじさい館30分」の道標がある。
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再び峠に戻って、三社側(国道299号側)へと歩みを進める。三社側の峠路はジグザグで、先ほどの巡視路とは大きな違いだ。
やはり峠路は人に優しい。素直に吾野小学校裏から入れば良かったと、この時は思ったのだが・・・。

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実は、三社側の入り口が、件の(迷)マークの通り、ちょっと分りにくいのだ。
国道から吾野公民館で折れ、吾野小学校の前を通り、用水路に沿って民家の裏を抜け、お墓の脇から峠路に入る。でも、民家の裏を抜けるのが・・・、やっぱり気がひけますよね。

たぶん自分だったら躊躇して、絶対迷っていただろう。巡視路を辿って正解だったかも。
なお道標は一切無し。うん、だって、地元の方々だけが利用した路だものね・・・。
国道沿いのコンビニでお茶とおにぎりを調達。
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さあ、次は大久保峠だ。
入り口は「奥武蔵あじさい館」前の横断歩道(写真)から。

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伐採地の中を歩き、振り返れば、伐採でぽっかりと開けた谷の先にあじさい館が見える。
程なくして、切通しの小さな大久保(大窪)峠。
標柱もお地蔵様も無いが、雰囲気の良い峠だ。
ちなみにこの峠路、大正期に作られた「学校みち」だという。この岩のような切通しを開削するのに、どれくらいの労力がかかったのだろう・・・。
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竹林に囲まれた路になれば、もう車道はすぐ下。
写真は大窪側入り口にある木の道標。「三社峠を経てあじさい館へ」の文字の上から、ガムテープで「大窪峠」と修正してある。

長沢川沿いの道は、たまに自動車が通るが、しっとりとした雰囲気の良い道。
これなら車道歩きも苦にならない。自転車でのんびり走るのにも良さそう。

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最後は梨本峠。
本来の峠路は、念仏供養塔の脇から入る路だそうだ。
確かに明らかな路があるのだが、前半は倒木が多く、ちょっと面倒。
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車道と平行に、緩やかに高度を上げていくので、迷うことはないだろう。
倒木も無くなり、しばらく歩くと、「下る」の標識のある三叉路に出る。
ここを下ると、鉄製の階段のある路に降りるらしい。
単なる山道なので、「マニア」の方(笑)以外は素直に階段から歩いた方が良いかも・・・(^^;
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梨本坂、大久保坂とも呼ぶ。
木にロープで括りつけてあった峠名のプレートは、残念ながら落ちてしまっていた。

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さて、梨本側の入り口(写真)だが、先の三社峠以上にわかり辛い(泣)。:
西武線のガードを潜り、その先で道が右に曲がるところの、カーブミラー左脇の草に隠れた小路が峠路入り口である。
三社峠、大久保峠、そして梨本峠。
日曜日だというのに、人ひとりと会わずに、静かな峠めぐりとなった。


(参考文献)
文中の説明は全て「奥武蔵」(「奥武蔵研究会」)286号及び339号の藤本一美氏の文章から引用しました。339号には地形図(巡視路のルートも有)も記載され役に立ちました。
また巡視路の入り口や、大久保峠入り口など、具体的なコースは、サイト「峠のむこうへ」様の紀行文が大変参考になりました。
心より御礼申し上げます。


 

山梨)雪の右左口峠から鶯宿峠へ(サイクリングの記憶)

今回のサイクルツーリングの記憶は山梨県。首都圏の日帰り圏内なので、輪行にもってこいです。ただし今回は残雪の中の行軍となってしまいました・・・。


【 年月日 】 2003年3月
【 ルート 】 JR甲斐住吉駅-R358-r710-右左口峠-r36-大窪鶯宿林道-鶯宿峠-新設の林道-黒坂里道林道-金川曽根広域農道-R20
【 車 種 】 ランドナー


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JR甲斐住吉駅を8:30に出発。国道358号をえっちらおっちら登って行くと、1時間弱で峠道入口に到着する。
今回のように国道からも入れるが、手前の「宿」集落から入った方が、峠超えの本来の雰囲気を味えると思う。
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ダートな道を登りながら後ろを振り返ると、甲府盆地の町並みがクッキリと姿を現した。
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登るにつれてボチボチと積雪が増え、次第に全面雪道となり、やがて峠直下では足首までの深さになる。さすがに押すのも難儀で体力を消耗してしまう。
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ようやく右左口峠(標高850m)に到着。峠の碑は無いが、かつて「中道往還」と呼ばれた、この峠道の説明板(写真右手)がある。かつては信玄や信長、家康も往来し、また江戸時代は、静岡の沼津、吉原から山梨へ通じる「いさば」(魚介類の道)として多く使われたそうだ。

峠は積雪で一面真っ白だ。役目を終えたこの峠は、静かな雪の中で、まさにひっそりと佇んでいる。

(残念ながらこの時点でデジカメの電池が切れてしまった。)

県道36号を登っていくと、鶯宿峠を示す道標が左手に現れる。峠道は車の轍跡で除雪されている為、大部分が乗車可能だ。
しばらくして右手に分岐する小道がある。有名なナンジャモンジャの木(両面檜)のある旧峠へ続く道だが、一目見ただけでも予想以上に雪が深いことが分かる。道幅も不鮮明で、とても歩けた状態ではない。
この旧峠を訪れることが今回の一番の楽しみだっただけに残念だ。でも冬場の峠行きだから仕方ないだろう(後日再訪したところ「ナンジャモンジャの木」は、峠から黒坂峠へ向かう工事中の林道のすぐ脇にあり、そこからは簡単に行けた。
この日は雪の中のため、入り口を見落としてしまったようだ。)
その後、林道上の峠へ到着。標高は1030m、特に碑はない。

あとは大窪の集落まで下るだけだが、峠直下は足跡一つ無い全面積雪状態だ。
しかし手元の5万図には記載がなかったが、黒坂峠方面に向かう道が続いており、こちらは一本の車の轍がある。どうやら新設の林道のような雰囲気だ。もしかして大黒坂の集落へ続いているのかもしれない。

予定を変更して、様子を見ながらこの道を進むことにする。先ほどの道より積雪率が高く、押しを多用する。
しばらくすると工事現場に遭遇。日曜日だが稼動中のため、お礼を述べて脇を通して頂く。
作業員の方に、この先の進路を確認させて頂くと、やはり大黒坂に抜けるとのことで、ひと安心だ。

工事現場を通り過ぎると、黒坂峠から下ってきた黒坂里道林道と合流し、そのまま下る。
下り道ではアイスバーンに苦しめられながらも、ようやく大黒坂の集落へ。集落には、この地域が深沢七郎氏の小説「楢山節考」の構想舞台となった旨の碑がある。
その後は金川曽根広域農道に合流して、更に国道20号へ。


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