アラヤ ラレークラブモデル・TAクランク改をお譲り頂きました。

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弊店のお隣の街、埼玉県熊谷市からのお持ち込みで、ラレーのクラブモデル(改)をお売り頂きました。どうも有難うございました。

ラレーはご存知イギリスのメーカーで、アラヤがライセンス生産をしているものです。
「クラブモデル」とは、イギリスの車種体系で、サイクリングクラブ員たちのモデル、つまり泥除けを外せばそのままロードレーサーにもなる自転車です。平地の多い英国では、かつてはダブルコグ(車輪をひっくり返すと固定/フリーになる)だったり、スターメーアーチャーのような内装変速機が主流で、山の多いフランスと違い外装変速機が発達しませんでした。
日本も昔は英国風のロードスタータイプ、日本でいえば実用車のようなタイプの自転車でサイクリングに行っていたものです。
それがルネ・エルスに代表されるフランスの車種体系が入ってきて、日本は一気にフランス流の自転車に傾いていった訳です。
そうはいっても、英国自転車については、日本では小池 一介氏(『華麗なる双輪主義 スタイルのある自転車生活』の著者)に代表されるように非常にマニアックな方が多いジャンルではあります。
小職も、ベレー帽を被って正装してロードスターに乗っている方を存じあげておりますが、それはそれはジェントルマン!という感じで、とても素敵なお姿でした。

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遊びココロで色々と改造をされていらっしゃいまして、ハンドルを日東のフラットタイプに変更されている点と、ギアクランクをフランスのTA・クリテリウム52×48Tに換装されております。
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サドルはGILLES BERTHOUD /ジルベルソー(ギルベルソー)。ソローニュのバッグで有名ですね。
フランス本国ではパーツ以外でも完成車も販売しています。ジルベルソーのサイトはこちらです。

このように日・英・仏と、日本のサイクリングの歴史を1台で表現するような、楽しい自転車となっておりました。
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三月銀輪館では、このようにカスタマイズされたロードバイクも買取させて頂きます。
店頭買取はもちろん、出張買取もお受けしておりますので、詳しくは、三月銀輪館のサイトまたはフリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)まで、お気軽にご相談下さい。

雑誌で紐解く スポーツサイクル アルプス その1

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「ツーリングはアルプスの世界です」のキャッチコピーでお馴染み、かつて東京は神田あったツーリング専門店「スポーツサイクル・アルプス(アルプス自転車工業)」。
筆者がアルプスのクライマー号をオーダーしたのは2001年頃です。この相棒でずいぶんと色々な峠に行きました。

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(雑誌『サイクルスポーツ』1988年3月号の広告より。MTBブーム前とあって、あの「MTBでツーリングですか」の刺激的なフレーズはまだ登場していない。)

そのアルプスがお店を閉じたのは2007年1月でした。来年(2017年)でもう10年になろうとしています。
アルプスといえば、雑誌『ニューサイクリング』の記事でお馴染み、2代目店主の萩原慎一氏や、フロントフォーク抜き輪行を思い浮かべる方は、もうベテランの方ですね。
もともとは大正7年に自転車製造卸「萩原卓商店」として創業した老舗の自転車店であり、昭和21年には慎一氏がスポーツ車専門店として展開。「フロントフォーク抜き輪行」を考案し、ランドナー「クイックエース」を発売します。このフロントフォーク抜き輪行がアルプスの代名詞となりました。

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(これが電車でコンパクトに運べる様に分解された輪行スタイル。ポンプの位置からクイックエースと思われる。アルプスのカタログより。)

そして息子さんの浩氏が3代目として後を継ぎ、パスハンター「クライマー」シリーズの発表となる訳です。
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(上:”スーパークライマー”、下:”ロードキング” 共に筆者所有)
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今回は、その3代目店主であり、最後の店主となった、萩原浩氏にスポットをあてて、各雑誌に氏が寄稿した文章や、ALPS号が紹介された写真などを中心に、一人のアルプスファンとして、その記憶を振り返りたいと思います。

アルプスは御存知の通りフレームビルダーではありません。フレーム製作は提携のビルダーに依頼し、設計通り上がってきたフレームを仕上げて製品にするスペシャルショップでした。

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(閉店後、早速に雑誌で特集された。2007年5月発行の雑誌『自転車人/第7号』巻頭特集。アルプスの自転車は今でもオークション等では高値取引されている。)

ここで子供向け書籍の奥付に記された浩氏の公表プロフィールをご紹介しましょう。
<昭和22年東京・神田に生まれる。開成高校を卒業後、写真専門学校、広告代理店オリオン社を経てアルプス自転車工業(株)に入社、現在に至る。いろいろなコースを走りまわりツーリングに適した「乗りやすい自転車」を考え続けて奮闘中。>
広告代理店でのカメラマンの経験から、カタログの完成車は全て氏が撮影したものでした。

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(『なんでもプレイ百科 スーパーサイクル決定版』双葉社/昭和53年)

それでは早速「雑誌」を紐解いていきましょう。

<続く>

土日は留守番電話にてご対応致します。

いつもご依頼を有難うございます。
しばらく土日のフリーダイヤルにつきましては、留守番電話にてご対応させて頂きます。
お見積りご希望の方は、モデル名、サイズ、外観、年式、購入価格などの詳細の情報と、お名前/お電話番号をお知らせ頂ければ、月曜日に折り返しお電話させて頂きます。
WEBサイトの買取フォームは24時間受け付け中です。
ご迷惑をお掛けいたしますが、どうぞよろしくお願い致します。

CASATI(カザーティ)ロードバイクをお売り頂きました。

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店頭持ち込みで買い取りさせて頂きました1台。
イタリアのモンツァに構えるカザーティは創業が1920年。砂田弓弦氏の94年出版の本では年間生産台数が1400~1500台。MTBは1割で残りの9割がロードレーサー、製品7割が海外向け。一方、同じく99年のサイスポでは1500~1700台、100%ロードレーサー、家族を中心に従業員8名体制の記述があります(後注)。その紙面から砂田氏の記述を少し引用しますと、「ワイシャツ姿で溶接する2代目」のキャプションと共に-
<材質はスチールとアルミが半々で、イタリア向けはスチールが多く、海外向けはアルミが多いという構成だ。パイプはコロンバスとデチャダイを使用している。「スチールとアルミについては一長一短だね。スチールは若干重いけど、耐久性がある。アルミは軽いけど耐久性に欠ける。でもオレ(=当時の2代目店主、ジャンニ・カザーティ、現在は3代目)はアルミのあの太い感じが好きなんだ。某社のようにあまり行き過ぎては行けないけどね」とやっぱり見た目を大事にする。><(アルファロメオ)”156でオネーチャンもイチコロよ”的雰囲気が、このカザーティにもあると思う(中略)とにかく掛け値なしに美しい。>
(注」『イタリアの自転車工房 栄光のストーリー』アテネ書房1994年/『サイクルスポーツ』1999年7月号)
※もちろん、当時の状況のため、現在ではアルミよりもカーボンモデルを製作しております。ご参考:カザーティのサイトはこちら。4

ステーのフタの部分や、シートピラーの刻印。
日本での代理店は一時、岩井商会等が扱っておりましたが、現在はアクションスポーツさんが窓口となっております。デローザ、コルナゴ、チネリ・・・に比べると日本では少々マニアックなブランドといっても良いかもしれませんね。2 フレームはコロンバス。フロントーフォークの肩や、Wレバーの先、ステム横の刻印がオシャレなカザーティらしく素敵です。ダウンチューブに<made in Italy>のマーク有り。現在まで一貫してイタリア国内生産を貫いています。
ちなみに、バーテープに注目!キャットアイのシャイニィです。恐らくデッドストック品を巻かれたのでしょう。
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<真珠の輝きを思わせる鮮やかな色彩で、高級スポーツ車にはベストな組み合わせです。みずみずしい肌ざわりは巻きやすく、雨や汗、汚れにも変化しません>サイクルスポーツ1982年10月号の広告より。
当時はキャットアイはまだブランド名、「株式会社津山金属製作所」が社名でした。3カンパでまとめた1台。フリーは6S、リアメカは恐らくビクトリーコルサと思われます。総合的に判断して、1980年代のロードレーサーと思われますが、如何でしょうか。
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三月銀輪館では、ロードレーサーを高価買取しております。国産・海外の各ブランド、メーカー車からフルオーダー車まで、”ふつうの買取店”では取扱が難しいロードなら、是非一度、三月銀輪館にご相談下さい。フリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)またサイトより、お気軽にどうぞ。

昔のロードバイクを買取(ケルビムのプロムナード)

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今野製作所(ケルビム)のプロムナード(軽快車)仕様を栃木県にて出張買取でお売り頂きました。有難うございました。
もともとはランドナー仕様で、パスハンティング(峠越え)に使用していたとのこと。若いころ、この自転車で幾つもの峠を超えたそうです。
その後、チェーンガード等を装着して、プロムナードとして第二の人生を過ごしました。実測で約13kg。

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フレームはレイノルズ531。ダイナモのコードは内蔵。
カンチブレーキはクロスボウ。
黄色の線引は恐らく自作と思われます。

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サンプレのチェーン・ガード。クランクはプロダイ。リアは5s。
その他の仕様としましては、
・リム:スーパーチャンピオン
・ハブ:ノルマンディ36H
・ステム:ミラレモ
・ハンドル:日東オールラウンダー
・リアメカ:カンパニョーロ ヌーボレコード
・サドル:藤田プロフェッショナル スーパー
・テール:ルクソール
ステムの固着をはじめ、リムの振れ等もあり「要レストア」品ではありますが、三月銀輪館では、このような昔の自転車も買取させて頂きますので、お気軽にご相談下さい。
三月銀輪館のサイトまたはフリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)よりご連絡下さい。

ノボリオイゾネ/稲詰峠から茗荷峠、松ノ木峠、伏木峠へ(峠歩きの景色)

今回の<峠歩きの景色>は東京都は青梅にある小さな峠です。2003年の12月、雪の残った時期でした。


2003年最後の峠訪問は、東京は青梅地区、成木地域の峠を歩くことにした。
JR東青梅駅北口から県道に出て都バスに乗り、30分ほどで成木街道の滝成バス停に到着。
そのまま街道を西に歩き、「多摩組」と大きく書かれた資材置き場の先を左折。橋を渡って左に曲がり、道なりに歩けば開けた畑に出る。
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その左前方に、こんもりとした小道が尾根に向かって延びており(写真中央やや左)、その道が峠路のようだ。1週間前の降雪がまだ残っている。

斜面をジグザグに登れば、20分少々で鞍部に到着。標識は無いが足元に目印用の赤紐が結んである。
「稲詰(いなづめ)」とは小字名だそうだ。この峠道、昭和30年代までは児童の通学路だったという。南の北小曾木(きたおそき)川沿いにあった旧青梅第十小学校のことかもしれない?南側を覗いてみたが、降りるのは困難に感じた。
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写真右側(北)から登ってきた。この尾根を正面(西)に向かう。

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峠を北側から写す。

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紐を目印に尾根伝いを西に歩く。この尾根は高水山から派生しており、「ノボリオイゾネ」と呼ばれている。宮内氏『奥多摩』曰く「天秤棒みたいな細長い尾根」である。
上の写真は三等三角点のある411.2mの夕倉(ゆうぐら)山。展望は無く、隣の採石場からの稼動音も響くので、早々に立ち去る。
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この鞍部が茗荷峠だろうか?
途中で木材運搬用の錆びた車輪が道端に放置されている箇所がある。参考文献によれば、そこから大きく下ったところが茗荷峠とのこと。
かつては上成木村上分の梅ヶ平(たいら)と北小曾木村の白岩集落を結んでいた(『青梅市史』)。残念ながら現地では峠道を確認出来ず。

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松ノ木峠では四体の石仏が出迎えてくれた。内、元禄11年(1698年)の馬頭観音様は青梅市最古の石仏だそうだ(『青梅市史』)。
手袋を脱いで合掌。お陰さまで地形図からも消えた山道を無事に歩くことが出来ました。
そのまま尾根を進み、伏木(ふしき)峠に到着。北側から峠道が延びている。
正面に石嗣があり、注連縄と竹筒で祀られ、驚くことにお賽銭と真新しいお餅が供えてあった。今でも大切にされている証だ。下の写真、中央やや右が伏木峠の石嗣。8

峠でようやく2万5千図にも破線が現れる。あとは地図どおり、尾根の左側を縫うように進み、3本目の丸太橋で沢を渡って鋭角に戻る。じきに高水山との分岐点だ。

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高水山の分岐点に到着。何と「伏木峠」の標柱がある。守屋氏の本(文章最後に列挙)によれば、こちらは間違いとのこと。確かに『青梅市史』の付録地図でも先の方を記しているように読み取れるし、何よりも石嗣の存在が説得力を増している。ひとつ気になるのは、『青梅市史』の(明治の)「字地の整理統合」の項にて、「ふしき」の小字名が、上成木村上分と北小曾木村と、峠同様に2か所存在することだ。

軍畑へ向けて下れば、養鶏小屋もある白岩集落に出る。後は駅までひたすら歩くだけだ。


(追記)
東京の登山家M様より「増補改訂 青梅市史」付録地図にある「橋詰峠」は誤植であるとのメールを頂きました。当方も青梅市に問い合わせましたところ、やはり誤植であったとのご回答を頂きましたのでお知らせ致します(2004年2月記録追記)。
また同じくM様より、2つある伏木峠について、「成木集落で聞いた話では、祠のあるところだそうです。白岩集落ではあの辺一帯(高水山分岐から祠がある鞍部一帯)を伏木峠という人もいました。もう少し正確に調査したいと思っています。いずれに当時の様子を知っている古老が少なくなり、地名や伝承民俗など次第に調査が難しくなってきています」との大変貴重な情報を頂きました。
M様、わざわざご丁寧に有難うございました。この場をお借りして、あらためて御礼申し上げます。(2004年2月)
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【参考文献】
1.本コースは下記の書物を参照し、また文中に出典の明記がない説明も同書を参考とさせて頂いた。
・稲詰峠から松ノ木峠へ:「多摩100山」(守屋龍男著 新ハイキング社 2003年)
・松ノ木峠から伏木峠へ:「新多摩の低山 ようこそ65の山へ」 (守屋龍男著 けやき出版 1999年)
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2.文中に出典を明記したもの
・「増補改訂 青梅市史」(東京都青梅市 1995年)


峠歩きの景色を公開中。三月銀輪館のサイトを是非御覧ください。

ランドナーを出張買取(神金自転車商会/ペガサス)1970年代後半

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埼玉県のお客様より、1975年頃?のペガサスのオーダーランドナーをお売り頂きました。どうも有難うございました。
タイヤは650B仕様。マファックのセンタープル、ユーレーの変速機、イデアル90(ダニエル・ルブールのサイン入)サドル、ブルーメルの泥除け等をアッセンブルしています。
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マッドガードに装着した白いフラップが、実用にもアクセントにも、どちらにも良い感じですね。
電装系は、お団子のランプと探検ライトの定番の二刀流。リムはスーパーチャンピオン。
3 モザイクかけで恐縮ですが、アウターのチェンリングについては、前所有者様のイニシャルの模様になっておりました。まさにスペシャルメイドですね。シートステーのゴム帯も定番です。

3aシートチューブに貼られた神金自転車商会さんの「J」シール。もちろんクロモリのフレームです。
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ヘッドマークのペガサス。
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Jマークの入った、オリジナルのフロントバッグ。これも貴重です。
神金自転車商会は明治39年創業という老舗店です。店名の由来をサイトから引用致しますと『神金自転車商会の所在地である「調布市菊野台」は、その昔「神代村金子」という地名であった。その神代村金子より頭文字を一字づつ取ったのが「神金」の名称の由来である。 現代なら調菊自転車商会…地名町番変更後もこの「神金」を屋号として現在に至っている。』とのことです。


ランドナーやツーリング車の買取は三月銀輪館へ是非ご相談下さい
フリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)または三月銀輪館のサイトからお気軽にお問い合わせ下さい。お待ちしております。

年末年始のご案内

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年中無休でお受けしております。
サイトの買取フォームまたはメールでしたら、24時間受け付けOKです。
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なお弊店からのお電話でのご連絡は、固定電話からではなく、転送先の携帯電話からご連絡となります。

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年明けは1月5日(火)より配送が再開されます。
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旧正丸峠から刈場坂峠へ(峠歩きの景色)

今回の<峠歩きの景色>は奥武蔵の定番の峠です。季節は12月。今から12年前になりますが、タイムスリップしてみましょう・・・。


【年月日】2003年12月
【コース】正丸駅→正丸峠→正丸山→旧正丸峠→サッキョ峠→虚空蔵峠→刈場坂峠→高麗川源流保全之碑→正丸駅


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正丸駅前右手の階段を降り、西武線のガードをくぐって大蔵山の集落に入る。
今日は、この冬初めての本格的な寒波が到来しているという。案の定、集落の中を歩いていると粉雪が落ちてきた。今年も秩父で初雪だ。去年は刈場坂峠だった。その時は1ヶ月も早かったけど・・・。
馬頭観音の分岐では、左手に伊豆ヶ岳の道を見送って右手に向かう。大蔵山林道と名付けられた車道もこの付近で終わり。
更に右手に正丸峠ガーデンハウスの道を見送り、あとは沢をツメていく。最後の急な階段を喘ぎながら登れば、正丸峠の茶屋の裏手に出る。
いつの間にか粉雪も止んでいた。
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(車道が超える現在の正丸峠)
茶屋でひと休み後、車道向こう側の階段を右上に上って、いよいよ尾根歩きの始まりだ。
正丸峠展望台、正丸山、川越(かんぜ)山とピークを結んでいく。頻繁に上り下りを繰り返し、特に丸太の階段が辛い。かなり体力を消耗する道だ。
そんな道でも何組ものご年配のハイカーさんとご挨拶する。皆さん、お元気だなぁ。
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(写真:尾根は手前南から降りてきて、正面北の階段を登る。)
階段を急降下して、ようやく旧正丸峠に着く。駅から約1時間半、ホッとひと息。峠を見渡すと、東西の峠道への降り口はハッキリと残っている。
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(写真:綺麗な鞍部を残している峠は良いものだ。東側から撮影。)
この旧正丸峠、昔は「小丸峠」とか「南沢峠」とも呼び、「秩父峠」の名もあったそうだ(※1)。江戸時代には、秩父と江戸を結ぶ最短距離の道として、秩父の絹を積んだ馬が列をなして峠を超えたという(※2)。秩父を結ぶ代表的な峠だったのだ。
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(写真:「サッキョ」とは狭(サ)尖峰(キ・ヲ)峠の転化と想像してみた。)
続いてサッキョ峠。2万5千図には峠道共々に記載が無い。現地でも標識がないと通り過ぎてしまいそうだ。
峠道の痕跡も良くわからない。どんな峠だったのだろう?
帰宅後、たまたま60年代の紀行文(※4)を読んでいたら茶屋の描写があった。こんな狭い尾根上にあったなんて、お店の人も毎日大変だったでしょうに。それとも昔は道幅が広く、それは車道開通と関係があるのだろうか?
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サッキョ峠から少し歩くと東側が開けた。飯能方面の展望が良い。国道299号線だろうか、眼下に車道が僅かに見える。
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虚空蔵峠では、草むらの脇に、ワンカップとお賽銭が供えられた虚空蔵菩薩様が鎮座している。ただし石嗣の銘板は現代のものだ。新しい母屋にお引越ししたのかもしれない。
昔、西の中井の集落の人たちは炭焼きで生計を立てており、峠を越えて越生方面へ炭を運んだそうだ(※2)。当時の人もきっと手を合わせことだろう。自分も旅の安全を祈って合掌する。
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虚空蔵峠の歴史は古い。昔は秩父出身の防人たちが越えたそうだ。
そして旧正丸峠は主に中世以降によく利用された為、最古の正丸峠は、実はこの虚空蔵峠を指していたという説がある(※2)。従って、先の小丸峠、南沢峠、秩父峠などの別名も虚空蔵峠を指していたとも推察出来る(※1)。
また「秩父誌」によると「二子峠」と呼んだとも。恐らく芦ヶ久保にある二子山付近を通る峠の意味と思われている(※2)。
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林道を数分歩き、道標に従って左手から再び山道へ足を向けよう。
途中で写真のような辺りが開けた一帯に出るが、実は昔、スキー場があった場所らしい。興味深いので参考文献(※3)より纏めてみた。
西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が昭和4年に飯能−吾野間を開通させたが、不況の影響で石灰岩の輸送が減り、経営不振となる。その打開策として、沿線の山々を「奥武蔵」と名付け、ハイキングの宣伝に力を入れた。そしてこの地を「奥武蔵高原」、無名の草刈場の入会地だった一帯を「刈場坂峠」と命名し、冬場の客足対策として「奥武蔵スキー場」をオープンした。しかし大雪だった昭和11年の1年間だけは盛況だったものの、その後の積雪はゼロとなり、結局、営業も中止となってしまったというのだ。
スキー場もさることながら、「奥武蔵」そして「刈場坂峠」と命名したのが鉄道会社だったとは意外な事実だ。
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牛立久保からの登りが最後のピークだ。
北側が大きく開け、はるか遠くの市街地までが良く見渡せる。
ピークから降りたところが終点、刈場坂峠。
鉄道会社が命名する以前、この峠は何と呼ばれていたのだろう?
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峠には無人の茶屋があり、車が1台止まったきりの閑散としたもので、長椅子の列が寂しそうだ。昨年は確か店の人がいたはずだが・・・、時期の問題だろうか?
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これにて本日の峠巡りも終了。あとは林道を下って正丸駅に戻るのだが、遠回りになるので途中で谷へ降りて近道をしよう。
道標はないが、林道を歩き始めて2、3分、写真のような電柱の間へ下る小道が左手にある。刈場坂の集落からの昔の峠道だと思われるが如何だろうか。
集落の人たちは峠を越えて越生方面まで米などを買いに出かけたという(※2)。秩父は、荒川を利用して農産物がはるばる輸送されてくるため値段が高く、その点、越生の方が安くて種類も豊富だったそうだ(※3)。
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道はハッキリしていて迷うことは無い。沢山の切り倒された丸太にビニール紐が結んであり、切り株にも番号のついたシールが貼ってある。現在は林業の人が使っている道なのだろう。
谷底に出るまでは散乱した小枝が足に絡まり少々歩きにくい。それでも谷につけば、チョロチョロと水の音が聞こえ、そのまま降りると沢沿いに合流する。結構楽しい道だ。
入り口から30分ほど歩けば再び林道に合流。1ヶ月前(2003年11月)に建てられたばかりの真新しい「高麗川源流記念之碑」の脇に出る。あとは林道をひたすら下り、車の排気ガスを我慢しながら国道299号を歩いて、1時間で駅に到着だ。
いやいや、奥武蔵の峠は奥が深い。まだまだ分からないことだらけだ。機会があったら昔の地誌をじっくりと調べてみよう。


(参考文献)
(※1)「峠道 その古えを尋ねて」(直良信夫著 校倉書房 1961年)
(※2)「山村と峠道」(飯野頼治著 エンタプライズ 1990年)
(※3)「増補ものがたり奥武蔵」(神山弘、新井良輔著 金曜堂出版 1984年)
(※4)「忘れられた峠」(内山雨海著 池田書店 1961年)
・コースガイドは「新ハイキング 2002年11月 No.565号」(新ハイキング社)を参考にした。

古いロードバイク買取/ラピエール スペシャル・ツール・ド・フランス 1970年頃?

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東京都のお客様より1970年頃のLapierre の”Special Tour de France”を無料出張にてお譲り頂きました。有難うございました。
フレームを入手されて以来、年代に合うようにパーツをコツコツ集められ、1年かけて完成された逸品です。
サイズはC-Tで約510ミリ。ヨーロッパ製のため大柄なサイズが多い中、小さなサイズは貴重かもしれません。
防犯登録も最寄りの自転車店でお客様にて抹消手続きを頂きました。お手数をおかけいたしました。
ちなみに他店様の最低見積価格は弊店の約1/4だったそうです。買取価格としてもご満足を頂きまして、弊店も嬉しく思います。
1-3センタープルのブレーキはCLB レーサー。ブレーキシューはデッドストック品を装着。
シフトレバーはユーレーのジュビリー(バンド止め)1-4 フレームはレイノルズ531。マーク付。1-5 ギアクランクはストロングライト93。52☓42T、170ミリ。
Fメカはユーレーのアルビー。
ペダルはリオター、タイヤはコンチネンタルのGIROです。
1-6 リアメカはユーレーのアルビー。ホイールはMavic Monthrely Pro、36H。1-7消えかかっておりますが・・・、「スペシャル・ツール・ド・フランス」の文字があります。

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その他
・ヘッドセット/BB:カンパーニョロ ヌーボレコード。
・ハブはマキシカーのショートフランジ。
・ステムはATAX、ブレーキレバーはCLB。
・シートピラーはサンプレックスのバッヂ付。
・サドルはサンマルコのロールス。
以上となります。
この度はお譲り頂きまして、どうも有難うございました。


三月銀輪館では昔のロードレーサー、現行のロードバイクなど、皆さまの大切な自転車を高価買取させていただきます。
お問い合わせはフリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)または三月銀輪館のサイトよりお気軽にご相談下さい。お待ちしております。