ノボリオイゾネ/稲詰峠から茗荷峠、松ノ木峠、伏木峠へ(峠歩きの景色)

今回の<峠歩きの景色>は東京都は青梅にある小さな峠です。2003年の12月、雪の残った時期でした。


2003年最後の峠訪問は、東京は青梅地区、成木地域の峠を歩くことにした。
JR東青梅駅北口から県道に出て都バスに乗り、30分ほどで成木街道の滝成バス停に到着。
そのまま街道を西に歩き、「多摩組」と大きく書かれた資材置き場の先を左折。橋を渡って左に曲がり、道なりに歩けば開けた畑に出る。
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その左前方に、こんもりとした小道が尾根に向かって延びており(写真中央やや左)、その道が峠路のようだ。1週間前の降雪がまだ残っている。

斜面をジグザグに登れば、20分少々で鞍部に到着。標識は無いが足元に目印用の赤紐が結んである。
「稲詰(いなづめ)」とは小字名だそうだ。この峠道、昭和30年代までは児童の通学路だったという。南の北小曾木(きたおそき)川沿いにあった旧青梅第十小学校のことかもしれない?南側を覗いてみたが、降りるのは困難に感じた。
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写真右側(北)から登ってきた。この尾根を正面(西)に向かう。

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峠を北側から写す。

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紐を目印に尾根伝いを西に歩く。この尾根は高水山から派生しており、「ノボリオイゾネ」と呼ばれている。宮内氏『奥多摩』曰く「天秤棒みたいな細長い尾根」である。
上の写真は三等三角点のある411.2mの夕倉(ゆうぐら)山。展望は無く、隣の採石場からの稼動音も響くので、早々に立ち去る。
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この鞍部が茗荷峠だろうか?
途中で木材運搬用の錆びた車輪が道端に放置されている箇所がある。参考文献によれば、そこから大きく下ったところが茗荷峠とのこと。
かつては上成木村上分の梅ヶ平(たいら)と北小曾木村の白岩集落を結んでいた(『青梅市史』)。残念ながら現地では峠道を確認出来ず。

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松ノ木峠では四体の石仏が出迎えてくれた。内、元禄11年(1698年)の馬頭観音様は青梅市最古の石仏だそうだ(『青梅市史』)。
手袋を脱いで合掌。お陰さまで地形図からも消えた山道を無事に歩くことが出来ました。
そのまま尾根を進み、伏木(ふしき)峠に到着。北側から峠道が延びている。
正面に石嗣があり、注連縄と竹筒で祀られ、驚くことにお賽銭と真新しいお餅が供えてあった。今でも大切にされている証だ。下の写真、中央やや右が伏木峠の石嗣。8

峠でようやく2万5千図にも破線が現れる。あとは地図どおり、尾根の左側を縫うように進み、3本目の丸太橋で沢を渡って鋭角に戻る。じきに高水山との分岐点だ。

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高水山の分岐点に到着。何と「伏木峠」の標柱がある。守屋氏の本(文章最後に列挙)によれば、こちらは間違いとのこと。確かに『青梅市史』の付録地図でも先の方を記しているように読み取れるし、何よりも石嗣の存在が説得力を増している。ひとつ気になるのは、『青梅市史』の(明治の)「字地の整理統合」の項にて、「ふしき」の小字名が、上成木村上分と北小曾木村と、峠同様に2か所存在することだ。

軍畑へ向けて下れば、養鶏小屋もある白岩集落に出る。後は駅までひたすら歩くだけだ。


(追記)
東京の登山家M様より「増補改訂 青梅市史」付録地図にある「橋詰峠」は誤植であるとのメールを頂きました。当方も青梅市に問い合わせましたところ、やはり誤植であったとのご回答を頂きましたのでお知らせ致します(2004年2月記録追記)。
また同じくM様より、2つある伏木峠について、「成木集落で聞いた話では、祠のあるところだそうです。白岩集落ではあの辺一帯(高水山分岐から祠がある鞍部一帯)を伏木峠という人もいました。もう少し正確に調査したいと思っています。いずれに当時の様子を知っている古老が少なくなり、地名や伝承民俗など次第に調査が難しくなってきています」との大変貴重な情報を頂きました。
M様、わざわざご丁寧に有難うございました。この場をお借りして、あらためて御礼申し上げます。(2004年2月)
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【参考文献】
1.本コースは下記の書物を参照し、また文中に出典の明記がない説明も同書を参考とさせて頂いた。
・稲詰峠から松ノ木峠へ:「多摩100山」(守屋龍男著 新ハイキング社 2003年)
・松ノ木峠から伏木峠へ:「新多摩の低山 ようこそ65の山へ」 (守屋龍男著 けやき出版 1999年)
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2.文中に出典を明記したもの
・「増補改訂 青梅市史」(東京都青梅市 1995年)


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