旧正丸峠から刈場坂峠へ(峠歩きの景色)

今回の<峠歩きの景色>は奥武蔵の定番の峠です。季節は12月。今から12年前になりますが、タイムスリップしてみましょう・・・。


【年月日】2003年12月
【コース】正丸駅→正丸峠→正丸山→旧正丸峠→サッキョ峠→虚空蔵峠→刈場坂峠→高麗川源流保全之碑→正丸駅


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正丸駅前右手の階段を降り、西武線のガードをくぐって大蔵山の集落に入る。
今日は、この冬初めての本格的な寒波が到来しているという。案の定、集落の中を歩いていると粉雪が落ちてきた。今年も秩父で初雪だ。去年は刈場坂峠だった。その時は1ヶ月も早かったけど・・・。
馬頭観音の分岐では、左手に伊豆ヶ岳の道を見送って右手に向かう。大蔵山林道と名付けられた車道もこの付近で終わり。
更に右手に正丸峠ガーデンハウスの道を見送り、あとは沢をツメていく。最後の急な階段を喘ぎながら登れば、正丸峠の茶屋の裏手に出る。
いつの間にか粉雪も止んでいた。
2
(車道が超える現在の正丸峠)
茶屋でひと休み後、車道向こう側の階段を右上に上って、いよいよ尾根歩きの始まりだ。
正丸峠展望台、正丸山、川越(かんぜ)山とピークを結んでいく。頻繁に上り下りを繰り返し、特に丸太の階段が辛い。かなり体力を消耗する道だ。
そんな道でも何組ものご年配のハイカーさんとご挨拶する。皆さん、お元気だなぁ。
3
(写真:尾根は手前南から降りてきて、正面北の階段を登る。)
階段を急降下して、ようやく旧正丸峠に着く。駅から約1時間半、ホッとひと息。峠を見渡すと、東西の峠道への降り口はハッキリと残っている。
4
(写真:綺麗な鞍部を残している峠は良いものだ。東側から撮影。)
この旧正丸峠、昔は「小丸峠」とか「南沢峠」とも呼び、「秩父峠」の名もあったそうだ(※1)。江戸時代には、秩父と江戸を結ぶ最短距離の道として、秩父の絹を積んだ馬が列をなして峠を超えたという(※2)。秩父を結ぶ代表的な峠だったのだ。
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(写真:「サッキョ」とは狭(サ)尖峰(キ・ヲ)峠の転化と想像してみた。)
続いてサッキョ峠。2万5千図には峠道共々に記載が無い。現地でも標識がないと通り過ぎてしまいそうだ。
峠道の痕跡も良くわからない。どんな峠だったのだろう?
帰宅後、たまたま60年代の紀行文(※4)を読んでいたら茶屋の描写があった。こんな狭い尾根上にあったなんて、お店の人も毎日大変だったでしょうに。それとも昔は道幅が広く、それは車道開通と関係があるのだろうか?
7
サッキョ峠から少し歩くと東側が開けた。飯能方面の展望が良い。国道299号線だろうか、眼下に車道が僅かに見える。
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虚空蔵峠では、草むらの脇に、ワンカップとお賽銭が供えられた虚空蔵菩薩様が鎮座している。ただし石嗣の銘板は現代のものだ。新しい母屋にお引越ししたのかもしれない。
昔、西の中井の集落の人たちは炭焼きで生計を立てており、峠を越えて越生方面へ炭を運んだそうだ(※2)。当時の人もきっと手を合わせことだろう。自分も旅の安全を祈って合掌する。
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虚空蔵峠の歴史は古い。昔は秩父出身の防人たちが越えたそうだ。
そして旧正丸峠は主に中世以降によく利用された為、最古の正丸峠は、実はこの虚空蔵峠を指していたという説がある(※2)。従って、先の小丸峠、南沢峠、秩父峠などの別名も虚空蔵峠を指していたとも推察出来る(※1)。
また「秩父誌」によると「二子峠」と呼んだとも。恐らく芦ヶ久保にある二子山付近を通る峠の意味と思われている(※2)。
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林道を数分歩き、道標に従って左手から再び山道へ足を向けよう。
途中で写真のような辺りが開けた一帯に出るが、実は昔、スキー場があった場所らしい。興味深いので参考文献(※3)より纏めてみた。
西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が昭和4年に飯能−吾野間を開通させたが、不況の影響で石灰岩の輸送が減り、経営不振となる。その打開策として、沿線の山々を「奥武蔵」と名付け、ハイキングの宣伝に力を入れた。そしてこの地を「奥武蔵高原」、無名の草刈場の入会地だった一帯を「刈場坂峠」と命名し、冬場の客足対策として「奥武蔵スキー場」をオープンした。しかし大雪だった昭和11年の1年間だけは盛況だったものの、その後の積雪はゼロとなり、結局、営業も中止となってしまったというのだ。
スキー場もさることながら、「奥武蔵」そして「刈場坂峠」と命名したのが鉄道会社だったとは意外な事実だ。
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牛立久保からの登りが最後のピークだ。
北側が大きく開け、はるか遠くの市街地までが良く見渡せる。
ピークから降りたところが終点、刈場坂峠。
鉄道会社が命名する以前、この峠は何と呼ばれていたのだろう?
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峠には無人の茶屋があり、車が1台止まったきりの閑散としたもので、長椅子の列が寂しそうだ。昨年は確か店の人がいたはずだが・・・、時期の問題だろうか?
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これにて本日の峠巡りも終了。あとは林道を下って正丸駅に戻るのだが、遠回りになるので途中で谷へ降りて近道をしよう。
道標はないが、林道を歩き始めて2、3分、写真のような電柱の間へ下る小道が左手にある。刈場坂の集落からの昔の峠道だと思われるが如何だろうか。
集落の人たちは峠を越えて越生方面まで米などを買いに出かけたという(※2)。秩父は、荒川を利用して農産物がはるばる輸送されてくるため値段が高く、その点、越生の方が安くて種類も豊富だったそうだ(※3)。
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道はハッキリしていて迷うことは無い。沢山の切り倒された丸太にビニール紐が結んであり、切り株にも番号のついたシールが貼ってある。現在は林業の人が使っている道なのだろう。
谷底に出るまでは散乱した小枝が足に絡まり少々歩きにくい。それでも谷につけば、チョロチョロと水の音が聞こえ、そのまま降りると沢沿いに合流する。結構楽しい道だ。
入り口から30分ほど歩けば再び林道に合流。1ヶ月前(2003年11月)に建てられたばかりの真新しい「高麗川源流記念之碑」の脇に出る。あとは林道をひたすら下り、車の排気ガスを我慢しながら国道299号を歩いて、1時間で駅に到着だ。
いやいや、奥武蔵の峠は奥が深い。まだまだ分からないことだらけだ。機会があったら昔の地誌をじっくりと調べてみよう。


(参考文献)
(※1)「峠道 その古えを尋ねて」(直良信夫著 校倉書房 1961年)
(※2)「山村と峠道」(飯野頼治著 エンタプライズ 1990年)
(※3)「増補ものがたり奥武蔵」(神山弘、新井良輔著 金曜堂出版 1984年)
(※4)「忘れられた峠」(内山雨海著 池田書店 1961年)
・コースガイドは「新ハイキング 2002年11月 No.565号」(新ハイキング社)を参考にした。

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