『ハイキング誌」とサイクリングの歴史その1

三月双輪社

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戦前の『ハイキング誌」とサイクリングの歴史 その1

<雑誌『ハイキング』との出会い>

サイクリストにとって<峠>は特別な場所です。私も皆さんと同じように<峠>にはまった一人です。そしてその名称の由来や、今は埋もれたしまった峠を調べることが好きでした。
そのうちに戦前の「ハイキング」という雑誌を偶然に古書店でみつけました。そして読んでいくうちに、ある号より、何とサイクリングの記事が掲載されていたのです。それからは古書店を訪ねては、バックナンバーを揃えておりました。ただし中には1冊3,000円を越す場合もあり、我がお財布との兼ね合いもあって(汗)、残念ながら欠号が多い状態です。
そのような状態ではありますが、手持ちの雑誌から記事を紹介し、戦前の貴重なサイクリングの様子をご紹介したいと思います。
 

<雑誌『ハイキング』とは?>

もともと自転車のサイクリング自体は昔からありました。
例えば、日本初の自転車クラブは明治26年発足の「日本輪友会」といわれています。また明治33年8月27日付『二六新報新聞』には富士登山の山岳サイクリングの記事が掲載されました。専門誌としては明治34年創刊の『輪友』や明治41年創刊の『輪界』があります。(以上「日本自転車史研究会サイト様」より参照致しました。)
 
さて『新ハイキング』という雑誌を皆さまはご存知だと思います。昭和25年に創刊され、現在も毎月1回(新ハイキング社)から刊行されています。”新”と呼ぶからには、実は”元祖”があり、最初の『ハイキング』は昭和7年4月に創刊され、昭和18年6月の119号まで発行されました(新ハイキング社サイトより。)


(昭和12年5月第59号。特集はサイクリング) 
 

実はこの『ハイキング』誌にサイクリングの記事が掲載されていたのです。執筆者は菅沼達太郎氏、和田文平氏など、ベテランのサイクリストには懐かしい名前の方々かもしれません。でも何故、ハイキング雑誌にサイクリングの記事なのでしょう?
 
 

<NCTCの歴史を記した本との出会い>

ここに、氏らが投稿し始めた経緯を記した一冊の記念誌があります。『わが国サイクリングの歩み-NCTCの歴史』(日本サイクリスト・ツーリング・クラブ創立40周年記念/昭和61年発行)。
この書物が先の疑問を解決してくれました。(ちなみにこの書物は70頁もあり、日本の近代サイクリングの歴史を紐解く上でも貴重な情報が詰まっております。小職がこの項を記そうと思った動機も、この書物を入手したことが一因でもあります。この書物を発行されたNCTC様に心より敬意を表します。)


(菅沼達太郎氏の水彩画が表紙)

 
以下、同誌より参照致します。菅沼氏の生年は他資料を参照しました。
 
登山好きの青年、和田文平氏(明治40年生/綿糸問屋勤務)は英国の(CTC=サイクリスツ・ツーリング・クラブ)の会員になるほどの自転車愛好家でした。誌面より引用しますと「和田氏は実用車と少数の軽快車しかなかった当時の日本の状態では、サイクリングの発展は望めないと考え、誰も知らなかったサイクリング用車とそれを使った新しいサイクリングを普及させようと」し、一方サイクリングにも着目していた当時の『ハイキング』誌の協力を得て、昭和10年から4回に渡り記事を投稿しました。そして記事に共鳴した菅沼達太郎氏(明治35年生/法政大学山岳部OB/住友別邸勤務)が和田氏を訪ね、二人の交友が始まったそうです。(後に2人は他のメンバー6名と共に「東京・サイクリスツ・ツーリング・クラブ=TCTC」を発足し、これがNCTCの母体となりました。)
 
菅沼氏は既に登山関係の記事を同誌に執筆しておりました。和田氏も登山好きの経歴です。『ハイキング』誌との関わりは、その関係もあったのかもしれません。


 

同誌に「戦前のサイクリグ」として掲載された和田、菅沼氏の写真。
 

それでは、個々の雑誌の記事を見ていきましょう。