信州 小熊黒沢林道(サイクルツーリングの記憶)

今回のサイクルツーリングの記憶は、年代もすこし新しくなって、今から8年前の記憶です(それでも8年前です、ごめんなさい。)
今と路面事情等も違うでしょうが、当時の記憶を紐解いてみましょう・・・。


【 年月日 】 2007年5月
【 ルート 】 JR信濃大町駅−信濃木崎駅前−小熊黒沢林道−r325−信濃木崎駅前−JR信濃大町駅
【走行距離】 約40キロ
【 車 種 】 ランドナー


以前、神田のスポーツサイクル・アルプスの店内に飾られていた、雄大なパノラマ写真。
ご主人曰く、残雪と新緑が楽しめる5月の第三週がベストシーズンとのこと。
でも、この数年、仕事が多忙で第三週はおろか、GWも満足に休めなかった。
「今年も行けなかったです」とご主人に伝えるのが、毎年の恒例行事になりつつあった。
そうこうしているうちに夜行アルプス号が廃止、そして何とアルプスまでもが店を畳んでしまった・・・。
去年(2006年)、この相棒の色を塗り替えてから、まだ何処にも連れ出さないでいる。
そして、今年のGWは休めそう。
3年ぶりに乗る相棒。新たな気持ちで再スタートを切るには絶好の場所だ。
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夜行列車ムーンライト信州81号に乗るため、夜の新宿駅へと向かう。
今回は久々のフォーク抜き輪行。GW中の為、帰りの混雑で邪魔にならないよう、なるべくコンパクトにしたかった。
輪行袋はALPSオリジナルの超軽量タイプ。IMG_0004
信濃大町駅には5時過ぎに到着。
駅前にはタクシーが列をなしている。
5時40分過ぎに出発。国道もこの時間は車は殆ど通らない。
<ゆーぷる木崎湖>から林道を目指す。IMG_0006
登り始めていきなりギアをローいっぱいへ。
しかも、期待の絶景は、なかなか姿を見せてくれない。
とにかく我慢、我慢。
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綺麗な白樺林。
さすが信州という風景だ。
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やっと出会えた。この景色を待っていたのです。
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北アルプスを望む、壮大な山岳展望。IMG_0019
カーブを曲がったら、突然目に飛び込んできた。
思わず声が出てしまう。
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写真を撮りながら進むので、なかなか前に進まない(笑)。
この写真はお気に入り。
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写真はシーズンオフのサンアルピナ鹿島槍スキー場。
黒沢から鹿島川を渡り、県道325号を南へ。IMG_0034
長閑な田園地帯を下り基調で信濃木崎駅方面へ。
道路沿いには馬頭観音様を見かける。


夜行列車では一睡も出来なかったので、そろそろ睡魔が襲ってきた。
本当は温泉に浸かって一息いれたかったが、ここで休むと絶対動けなくなると思い(苦笑)、一気に信濃大町駅へと走り抜ける。11時にはもう車中の人となり、すぐに熟睡となってしまった。
とにかく、念願が叶い、大満足の一日だった。


 

東京・馬引沢峠から旧二ツ塚峠、大荷田峠、満地峠へ(サイクルツーリングの記憶)

今回は冬の陽だまりを求めて、五日市付近の小さな峠へポタリング紀行となりました。
今から11年前のお話です。大きな写真が残っておらず、小さい写真でごめんなさい。


【 年月 】 2004年1月
【 ルート 】 JR宮ノ平駅−r45(吉野街道)−林道−馬引沢峠−旧二ツ塚峠−r31(秋川街道)−二ツ塚峠−大荷田川沿い−大荷田峠−大荷田川沿い−R411(滝山街道)−旧満地峠−古満地峠−R411(滝山街道)−JR小作駅
【 車 種 】 ランドナー


冬の休日はなかなか布団から出られず、何度目かの目覚まし音で時間を確認したら既に朝の9時。結局この日も昼からのサイクリングとなってしまった。

吉野街道の畑中3丁目付近から見当をつけて脇道に入ると、林道が延びている。所々に簡易舗装も施してあるも、沢に沿った雰囲気の良い道だ。せっかくなので途中からノンビリと歩いて峠を目指した。
ところで馬引沢(まひきざわ)峠の「マヒキザワ」とは、「蟇沢」に接頭語マがついたという説がある(※1)。なるほど、林道の中では蛙の合唱が今にも聞こえてきそうだ。
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やがて峠に到着。南側の大久野へ下る道、すなわち写真正面のフェンスの先は大規模な産廃処理場があり、残念ながら道は消滅している。
なお鎌倉街道は榎峠から軍畑を経て馬引沢峠を通ったという説がある一方、西の梅ケ谷峠の方だとも言われている(※2)。

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続いて旧二ツ塚峠へ。この峠には二つの物語があるのでご紹介しましょう。
一つは、峠名の由来とも言われる、母娘の悲しいお話だ(写真をクリック)。二人の塚の前に歩み寄ってみると、真新しい花束がお供えされている。今でも地元の人に大切にされている証だ。自分もそっと手を合わせる。
もう一つは、二体のお地蔵様、いわゆる「傘地蔵」のお話(※2)。残念ながらお地蔵様のお姿は見えなかったけど、それだけ土地の人に利用されていた峠であったのだろう。

ここで正直に告白すれば、馬引沢峠も旧二ツ塚峠も、先の処理場のお陰で、今まで訪れるのを躊躇していた。しかし確かにフェンスはあるものの落ち着いた良い場所であった。

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フェンス沿いの荒れた道を下り、秋川街道に合流。そのまま北上すれば旧京塚峠(※3)、現在の二ツ塚峠だ。
車の往来が激しく、カーブの途中で立ち止まって写真を撮るのが少々怖い。

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大荷田川沿いに入り、右手に病院をやり過ごし、やがて左手(北側)の橋を渡って「万場(ばんば)坂通り」という坂道に入る。農道開鑿記念碑もある道を上りきれば、切り通し状のピークに到着。ここが大荷田峠(※3)?だと思う。
右手に山道が延びていたので、ぐるっと探索してみると、小さな畑や、廃車などを見かけた。
このまま峠を下れば、万場坂バス停のある吉野街道に合流するが、今回は大荷田川沿いに戻って満地峠を目指す。

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古満地峠まで足を延ばすことにしよう。
滝山街道の友田方面から旧道に入り、左手の階段へ向かう十字路の分岐点から右(西)へ登るとT字になるので、右から回り込むように尾根を西に進む。程なくして、「古満地峠 ←友田 菅生→」と書かれた小さな標識が木に掛かっている場所に出る。
(写真左が旧満地峠、右が古満地峠)
その後、旧道を引き返し、薄暗くなってきた寒空の中を小作駅まで駆け込んだ。


(参考文献)
(※1)「五日市町の古道と地名」(並木米一著 五日市町教育委員会 1984年)
(※2)「日の出町の昔ばなし」(日の出町文化財保護委員会編 1982年)
(※3)「増補改訂 青梅市史」(東京都青梅市 1995年)

チタン&カーボンのロードバイク(マングース)を買取致しました。

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埼玉県にお住まいの方より、ロードバイクを出張買取させて頂きました。有難うございました。
フレームはチタン、フロントフォークはカーボンのこのモデルは、米国マングース社のロードバイクです。コンポーネントはシマノ105。
マングースといいますとBMXの老舗メーカーですが、このようにロードレーサーも発売しておりました。
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ところでシートチューブには、PIEA21のマーク。今は亡き「ヨコハマサイクリングセンター シマダ」さんのお店ですね。実は小職は訪れたことが無いのです。お客様からお店の昔話を伺って、閉店前に是非一度訪問したかったと悔やみます。
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1988年4月のサイスポ広告より。
エベレスト、トーエイ、ケルビム、三連勝、ロイヤルノートンといったハンドメイドビルダー車も取次。ショップオリジナルとしては、ロードレーサーが「エスポアール」、ツーリング車が「ギャルソンヌ」ブランドでした。
「シマダはいつもサイクリストのことを真剣に考えています」。この熱いフレーズの広告で是非一度行ってみたいと思っていたのですが・・・。

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こちらは「ニューサイクリング誌増刊 スペシャルメイドサイクル総覧」(1979年5月)広告より。熱気が伝わる写真ですね。
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三月銀輪館ではロードバイクを高価買取しております。
現行のロードレーサーから昔のビンテージモデルまで、フリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)または三月銀輪館のサイトより、どうぞお気軽にご相談下さい。

山梨・柳沢峠から犬切峠へ(サイクルツーリングの記憶)

今回のサイクルツーリングの記憶は、群馬 万騎峠・二度上峠に続いて、久々のロードレーサーです。
下のプロフィールマップをご覧いただくとお分かりになるのですが、最後がブスッと切れてしまっています。果たしてその訳は・・・。


【 年月 】 2003年11月
【 ルート 】 JR勝沼ぶどう郷駅−塩山駅前−青梅街道(柳沢峠)−一ノ瀬林道(犬切峠)
【走行距離】 約42ロ
【 車 種 】 ロードレーサー


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無人の勝沼ぶどう郷駅を8時前に出発。塩山から「青梅街道・大菩薩ライン」に入り、右手に大菩薩嶺を眺めながら登っていく。
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時間帯のせいか、交通量は思ったほどでもなく悪い道ではない。ただし直線気味の単調な登りが「大菩薩の湯」辺りまで続き、辛いところであるが、その後はようやく九十九折になる。
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街道脇にある介山記念館。今日はお休み?脇には『大菩薩峠』の主人公、机竜ノ助の像がある。そう言えば『大菩薩峠』、未だに完読していないなぁ・・・。

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10時半に柳沢峠に到着。標高は1,472m。
晴天ならば富士山も見えるようだが、本日は曇り空のため展望は望めずに残念だ。
峠は車やバイクで結構賑わっており、奥の駐車場では登山服姿の人も見かける。
茶屋ではアイスクリームを販売しているが、さすがに買う人はいないですね(苦笑)。気温は4度ですもの・・・。)

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そのまま青梅街道を下り、落合から北へ左折、高橋川沿いの一ノ瀬林道に入る。
標識に従って右へ分岐し犬切峠を目指す。たまに車が通る位の、少し寂しげな雰囲気の道だ。なお一ノ瀬一帯は東京都の水源林でもある。

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新犬切峠は三叉路になっている。
林道はそのまま北へ延びて(写真では奥へ進む)一ノ瀬高原をぐるっと周回する格好であるが、ここは進路を東にとり、旧犬切峠を目指す。

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程なくして旧犬切峠に到着?(写真は少々場所に自身がありません、ごめんなさい)。
ここは一ノ瀬と高橋を結ぶ峠道だ。

「イヌキリ」とは「往ぬ、きり」だと述べた方がいる(※1)。他にも「”イヌ”とは痩せ地のことで、そこを切りひらいた」(※2)という地形説もある。更に漢字にすると何やら曰くつきの名前になる。案の定、次のような伝承があるようだ(※3)。 「250年ほど前に、一ノ瀬の忠兵衛という男が塩山に穀物の種を買いに行った。帰り道、悪い狼が出ると言われている峠に差し掛かかると、足元に狼らしきものが迫った。忠兵衛は脇差を抜いて切りつけたところ、狼の尻尾だけ見つかる。以後、峠には狼は出なくなり、それ以来、犬尾切峠と呼ばれ、明治の地図作成時に切られた狼と同じように”尾”が無くなって犬切峠となった。」
この伝承にしても、先の「往ぬ、きり」説にしても、この峠を越えることが当時はいかに大変だったかということが伝わってくる。一ノ瀬高橋は山梨県の最奥地、その生活には並々ならぬご苦労があったことだろう。
それにしても犬かぁ・・・。何しろ、今までもサイクリング中に足首を噛まれたり、番犬に追いかけられたりと散々だからなぁ・・・。嫌な予感。(-_-;)

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峠からの下り道。
最初は綺麗な舗装路だが、じきにコンクリのガタガタ道なってしまい、雰囲気は良いが、ロードでは相当に厳しい。次回は林道を下って集落の方まで訪れてみよう。 IMG_0036q
ガタガタ道も終わり、ようやく舗装路に合流。青梅街道の「おいらん淵」の合流地点に向けて更に下っていく。
しかし、ここで嫌な予感が的中した。カーブの途中、草むらから飛び出してきた犬!を避けようとブレーキングしたところ、落ち葉でリアが滑って、ガードレールに激突。

うーむ、「犬切峠」だけに尻尾を切られた狼の祟りか、それとも「おいらん淵」に沈められたという遊女たちの呪いか・・・。ホイールが自分の身代わりになってくれたお陰で、体の方は小さな傷と打ち身で済んだのが不幸中の幸いである。

このまま歩いて帰るのか・・・と呆然としていたところ、運良く1台の車が通りかかる。笠取山帰りの親切なご夫婦だった。事情を説明し、ご好意に甘えさせて頂いて奥多摩駅まで乗せて頂く。(東京の○○様、本当に有難うございました。)

(参考文献)
(※1)「多摩」(米光秀雄、滝沢博、浅井徳正著 武蔵書房 1969年)
(※2)「日本山岳ルーツ大辞典」(竹書房 1997年)
(※3)「多摩源流を行く」(瓜生卓造著 東京書籍 1981年)・・・一ノ瀬高橋、丹波村、小菅村のルポルタージュ。お薦めです。

トーエイの650Bランドナーを出張買取させて頂きました。

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神奈川県にお住まいのお客様より東叡社のランドナーをお売り頂きました。1978年にオーダーされとのこと。有難うございました。
折角ですので一部ご紹介させて頂きましょう。
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フレームサイズは500ミリと、やや小柄な方向けのサイズです。その為にブレーキはギドネット使用になっておりますね。
左に探検ライト、右にダイナモからのライトの定番の仕様です。泥除けに線引あり。見えづらいのですが、ガードの先端に風切りとして、1ペニー硬貨を背負った豚のマスコットが付けられています。ドイツのお土産品でしょうか、可愛らしいですね(^^)
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ストロングライトのクランクとギア板。Fメカはカンパ。
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Rメカはカンパのヌーボレコード。
その他、ノルマンディーのラージハブ、イデアル90サドル、NISIのリム、マファックのカンチブレーキ等。
リヤタイヤとチェーンステーが接触しており、要メンテナンス車ではありますが、もちろん当店では喜んで買取させて頂いております。
貴重なトラディショナルなオーダー車を有難うございました。


オーダー自転車をご整理予定の方、ぜひ三月銀輪館へお気軽にご相談下さい。
フリーダイヤル:0120-68-3196(10-20時)のお電話でもOKです。
詳しくは三月銀輪館のサイトを御覧ください。

2015年「ツール・ド・フランス観戦塾」簡易レポート

今年も「さいたまクリテリウム」が実施され、チーム「ジャイアント・アルペシン」のジョン・デゲンコルブ選手が優勝したのは記憶に新しいところです。
余談ですが、ちなみにクリテリウムとは小さな周回コースを走り競うものです。昔はマファック社から「マファック・クリテリウム」というブレーキもありましたので、そちらでご存知の方も多いかもしれません。
さて、その前日イベントとして「「ツール・ド・フランス観戦塾」が開かれましたので、今回はその観戦記です。(店員Kより)


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J・ SPORTSオンデマンドでも放送されておりましたのでご存知の方は多いかもしれませんが、「さいたまクリテリウム」の広報イベントとしてレース前日に開催されました。

出演者はツール・ド・フランス司会としてお馴染みのサッシャ、栗村修の両氏を司会とし、ロードレースではいくつも優勝を経験した生きる伝説のベルナール・イノー、そして、翌日走行予定の新城幸也・別府史之選手、そして海外招待選手のクリス・フルーム、ホアキン・ロドリゲス、ロメン・バルデ、そしてジョン・デゲンコルブ選手となっています。
ちなみにイノーといえば、1985年のツールで落車して鼻を骨折、鼻血を出しての激走を、当時はNHKでダイジェストが放送されたこともあり、ご記憶の方もいらしゃるかもしれません。

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最初のイベントはイノー、新城、別府選手らによる来年2016年のツール・ド・フランスコースの解説です。
その中で新城選手は「来年は3つのグランツールすべてに出場してもよいと思っている」と発言していたので今から楽しみですね。
(※グランツール:欧州で開催されるプロレースでジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ブエルタ・ア・エスパーニャのことを指します。)

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続いて行われたのが、海外招待選手4名による法被ジョーヌをかけたクイズ大会です。

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1問目・2問目は簡単な問題なので難なく全員正解

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3問目もクイズと思いきや今回は絵心対決ということで、さいたま市のPRキャラのヌゥ君のイラストを描いて、一番美味かった選手が優勝というものでした。

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会場にもヌゥ君は来ていましたが、栗村氏は事前にお手本ということで描いてきており、中々上手です。

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海外招待選手4名は、あまり絵心はなかった模様でしたが、勝負師の目つきになり真剣に描いていました。しかしフルーム選手はヌゥ君をあまり見ずに栗村氏が掲げたイラストをジッとみて描いており最後にカンニングを指摘されていました(笑)

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最終的に優勝はデゲンコルブ選手となり法被ジョーヌと副賞の岩槻特産のミニ兜が送られていました。


という訳で、スター選手を身近に見るのは、良いイベントかもしれません。
「さいたまクリテリウム」も2013年に始まったばかりの、まだ新しいイベントです。マラソンと違い、自転車レースはまだまだ日本では馴染みがあるとは言えません。まだ試行錯誤だと思いますが、是非、今後とも続けて頂いて、お馴染みのイベントになる位、大きくなって欲しいと思います。

東京・五日市 子の権現様と周辺の峠(サイクルツーリングの記憶)

前回は奥武蔵、吾野の「子の権現様」訪問でした。今回はその2年後、東京は五日市、同じく「子の権現様」と周辺の峠行き(蛇野峠、グミノ木峠)、そして「横根峠」の記憶です。


【 年月日 】 2004年2月
【 ルート 】 宮ノ平駅−吉野梅郷−梅ヶ谷峠−西の入・ホオバ沢林道←→梅の木林道(肝要峠)−r184−岩井院・子の権現様−r31−蛇野峠−グミノ木峠−武蔵五日市駅前−r33−星竹−南沢・星竹林道←→横根峠−武蔵五日市駅前−拝島駅
【 車 種 】 ランドナー


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r184沿い、岩井にある岩井(がんせい)院の立派な境内の脇に、子の権現社があるので参拝しよう。昔は勝峰山の山頂にあったが、石灰岩採掘のため昭和2年に現在地に移転したそうだ(※1)。
伝承は、以前に参拝した吾野の子の権現様と似ている。ただし火傷を負った際に竜は登場しない。更に子の聖はお経を残してこの地を去ってしまう。そしてこちらも腰から下の病気に霊験があるという。合掌して健脚祈願、「どうぞ足が強くなりますように。」

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さて強くなった?足で峠巡りを続けましょう。

まずは蛇野峠。「日の出町史」(※2)で見つけた峠で、坊平(ぼうへい)と玉ノ内を結ぶ。
よく寄らせて頂く地元の喫茶店のご主人に伺ってみたところ、確かに峠状の場所があるとのこと。そして近くの藤が蛇のような形をしており、そのせいか蛇と関係した昔話を聞いたことがあると教えて頂いた。ご主人様どうも有難うございます。
その藤は標高265mの八幡山にあり、「大久野の藤」として都の天然記念物にも指定されている。なるほど、アラカシの大木に大蛇のごとくグルグルと巻きついている。よくもまあ、こんなに絡まったものだ。
裏手には石祠が祀ってある。恐らく昔は御神木「蛇の木」のある「蛇の木峠」と呼ばれ、それが短縮して「蛇野峠」になったのではなかろうか。

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峠(写真)には水道局の配水所施設がある。また坊平側はダートな路面が残っている。
その道を一生懸命登っていたら左足が攣ってしまった。あれ、お参りしたばかりなのに(泣)

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お次はグミノ木峠(写真)。並木氏「五日市町の古道と地名」に載っている。小机と幸神を結ぶ峠で、五日市と青梅を繋ぐ青梅古道だった(※3)。
H8年発行の地形図では道は破線で描かれており、先の本には緑に囲まれた雰囲気の良い土の道の写真が掲載されていたが、現在では既に舗装済である。勾配も緩く、自転車ではアッという間に通り過ぎてしまう。

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その後は武蔵五日市駅前を通り過ぎ、本日最後の峠、星竹と本須を結ぶ横根峠(横峰峠)の場所の確認へ向かう。こちらも前述の並木氏の著書に「金毘羅裾道」として記述があり、概念図は宮内氏「奥多摩」に掲載されている。
写真は星竹にある普光寺傍の道路脇にて。左から馬頭観世音、百万遍供養塔、御神燈。

星竹から南沢・星竹林道へ進む。しかし峠近辺まで来ても、峠道が見当たらない。日没のタイムリミットが近いため、金毘羅尾根経由で回り込む余裕もない。林道に自転車をデポし、空身で斜面を強引によじ登って、尾根に取り付く。
「もはや峠は残っていないだろうな」と余り期待もせずに、送電線の鉄塔脇にて周囲を見回したら・・・。

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嬉しいことに、峠は綺麗な形で残っていた!
写真正面は本須へ向かう道。どうやら歩けそうな気配だ。
手前、林道方面も道は伸びている。
右手の巡視路の黄色い杭の先にも道がある。恐らくこれが金毘羅尾根から派生する尾根道だろうか。少しだけ歩いてみると、杉の木々の間に紐がピンと張られているのを見かける。雪起こしの為だろうか?

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峠の周囲を色々と確認したかったが、もう日没間近なので、急いで峠から林道へ戻る。山腹に沿った道を東へ緩やかに下るとミラーの設置してある左カーブ地点(写真)に飛び出した。
林道から星竹方面を覗いてみると、踏み跡らしき道筋を見つける。もしかして旧道なのかもしれない・・・?

自転車のデポ地まで戻り、林道を引き返した。次回はぜひ本須へと抜けてみよう。


(参考文献)
(※1)「語呂合わせの神々 秩父・奥武蔵 謎の伝説」(神山弘著 金曜堂出版部 1987年)
(※2)「日の出町史(通史編上巻)」(日の出町史編纂委員会 1992年)
(※3)「五日市町の古道と地名」(並木米一著 五日市町教育委員会 1984年)

埼玉・子の権現様と周辺の峠(サイクルツーリングの記憶)

「子(ね)の権現様」は、足腰の守護と言われており、サイクリストにはぴったりのお寺です。今回は奥武蔵、次回は五日市の子の権現様と各地にあるようですね。
という訳で、権現様に参拝後、付近の峠も一緒にパスハンティングすることにした訳です。果たして御利益の程は・・・。


【 年月日 】 2002年10月
【 ルート 】 西武鉄道 吾野駅−R299−吾野・飛村林道−栃屋谷林道−権五郎神社−並沢−双沢林道−子の権現様−子の山林道−天目指峠−原市場名栗林道−仁田山峠−r350−倉掛峠−r70−西武鉄道 飯能駅
【 車 種 】 ランドナー

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西武線吾野駅を午前9時過ぎに出発。
高麗川に沿ってR299を東に進み、西武線の高架を潜りENEOSのガソリンスタンドを通り過ぎると、右手の川に掛かる南天神橋という小さな橋が現れる。そしてこの橋を渡るとすぐに、林道「吾野・飛村線」の入り口があった(写真)。
入口の民家を過ぎると、いきなりの急坂だ。地図からして予想通りだが、朝一番の上り、それも体が慣れる前の激しい運動の為、早くも心臓がバクバクだ。暫く地面に座り込み、水分を補給しながら呼吸を整える。 
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上りきったあとは飛村のT字路に向けて一旦下る。
そのT字路は右折し、林道「栃屋谷線」に入る。再度の上りだ。
そして林道上のピークに到着(写真)。覚悟はしたが、やぱりキツい。休憩がてらに付近をウロウロしていたら、道から外れた右手に祠を見かける。名も無き峠だろうか?
続いて栃屋谷方面へ向けて下るとY字路にぶつかる。ここでようやく「子の権現・あと4キロ」の案内板がある。
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Y字路には、赤い鳥居の権五郎神社がある。平安末期の保元の乱に登場する片目の武将、鎌倉権五郎景政を祀っているそうだ。(※1)。

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静かに佇む集落の坂道をゆっくり上る。
実はこの道が権現様の本参道で、大正時代には縁日では参拝者で大変な賑わいをみせ、茶店も道に並んだという(※1)。

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並沢のY字まで来れば、分岐を右折して林道「双沢(ならびさわ)線」に入る(写真)。あと1.5kmの表示あり。ここから又もや急坂だ。

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杉林に囲まれた静かな坂道を息を切らしながら一心不乱に上っていると、上の方から鐘の音が聞こえてくる。荘厳な響きが何とも心地よい。目的地まであと少しだ。
更に上っていくと「残り300m・急坂あり」の案内板がある。急坂って、今までのは急坂じゃないの?とブツブツ言いながら進むと、ごらんの通りの”激”坂だ。上っていく軽自動車が本当に大丈夫か心配して見ていたほどだ。

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やっと権現様に到着。門の手前に自転車を停めて、2体の仁王様が控える中を本堂に向かう。
平成14年第19号の「子の権現」誌によると、お寺に水道は通っておらず、湧き水を溜め、それをポンプで汲み上げているそうだ。風呂や洗濯等には雨水を利用しているとのこと。山寺ゆえの大変な生活だ。

ところで「子の権現様」は、正式名称を大鱗山雲洞院天竜寺と言う。天長9年(832年)、神々から剣を口の中に突き通された夢をみて懐妊した紀伊国の阿字女という処女から、子年子月子日子刻に誕生した子ノ聖が、東北の羽黒山から聖地も求めて般若経を投げたらこの地に落ちた。その聖光を頼りに当地を踏むが、寝ている隙に悪鬼の火攻めにあって腰から下に火傷を負ってしまう。その時、瞑目して祈念すると、突然天竜が現れ、雨を降らして猛火を消してくれたそうだ。それ以来、腰から下の病気に霊験があるという(※1)。
ちなみに、修行中の身でありながら、通りがかった美しい女性と恋に落ちて、その女性と焚き火をした時に、火が野原に移ったのを気がつかずに火傷を負ったと言う話もある(※2)。やはり火遊びはホドホドに。(^^;

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写真は境内にて。左は昭和38年に奉納された重さ2トンの大きな草履だ。奥には赤と白の下駄もある。そして写真右は本堂。「どうぞ健脚になりますように。」
本堂の裏手の小さな丘には鐘がある。先ほど聞こえた鐘の音は、この鐘だったのかもしれない。その後、境内でお守り2つと、参道に1件だけある茶屋でキーホルダーを購入。計1500円也。

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参拝も無事終り、次は天目指峠を目指す。
林道「子の山」線」で上久通まで一気に下る。そして今度は天目指峠へ向けて再び上り返す。もう疲れて足も回らず、押しの多用だ。
写真はその天目指峠。峠には開削記念の銘板がある。旧峠は西の高畑山方面に少し入ったところにあるようだが、残念ながら現地では確認しなかった。

ところで、「天目指峠」の命名の由来はご想像つきますか?名前からして古代の天女伝説でもありそうな感じだが、峠の案内板を要約すると以下のとおりだ。”天目”はこの付近の方言でアマメ、豆柿を意味し、この辺りは柿が非常に豊富だった。また”指”とは、山を焼いてその後に種を蒔く焼畑のこと。やはり当て字だったのだ。

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天目指峠を下り、名栗湖手前を東に左折して林道「原市場名栗線」の上りへ。
まだ緑の景色だが、秋の気配がどことなく感じらる。

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名栗村と飯能市の境界線上にある、切り通しの仁田山峠に到着。「ニタ山」とは湿地帯にある山の意味だろうか?峠の杉の木に大きな藤が巻きついていたので、藤巻峠とも呼ばれたそうだ(※2)。また、道路脇に木の鳥居がある。この山の遥拝所だろうか?

峠からは更に上りが続く。そして上り返しも多いので、とうとう足が痙攣してしまう。先ほど権現様で足腰守護のお守りを買ったのに(;^_^A

さて、いよいよ残る峠もあと1つだ。
林道を下ってr350に合流する。飯能へ向けて下っていると、道路脇右手の草むらに何やらガサゴソ動く気配が。最初は犬かと思い段々近づいて行くと、それは何と野生の鹿だ。慌てて写真を撮ろうとするが、あっという間に山肌を駆け上がって消えて行った。
まさか車も頻繁に通るこんな道で鹿を見るなんて・・・。目の前を通り過ぎる車をよそに、一人で興奮した。

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入間川方面へ軽く上り返せば、すぐに倉掛峠だ。
地元の方のお買い物自転車も通る、こちらも綺麗な切り通しの峠だ。少し下ったところに峠の開削工事記念碑もある。

これで今回の目的はすべて終了。あとは飯能駅まで緩やかに下って行くだけだ。
途中の入間川沿いでは、ちょっとしたダートを楽しむ。15時に駅に到着した。

東京は五日市の「子の権現様」にも訪問しております。
その記憶はこちらです!


(参考文献)
(※1)「秩父奥武蔵 山と伝説の旅」(神山弘著 金曜堂出版 1985年)
(※2)「増補ものがたり奥武蔵」(神山弘、新井良輔著 金曜堂出版 1984年)

自転車パーツ「カンパニョーロ50周年」を買取させて頂きました。

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栃木県のお客様よりカンパ50周年モデルをお売り頂きました。
有難うございました。
写真の通り、銀バッジがやはり良いですね。創業が1933年ですから、この記念モデルが発売されたのが1983年、奇しくも創業者のトゥーリョ・カンパニョーロが逝去したのと同じ年でした。
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その時代のカンパのカタログがありましたので、掲載してみました(クリックで拡大します)。
その内、ツーリングモデルの紹介文がなかなかでしたので引用してみましょう。

スポーツツーリングを行うということは、プロレスに勝つということと同じことではないのは明らかである。しかしながら、自転車スポーツ愛好者には共に走るパートナーと競うという気持ちと、小春日和だけ自転車で走ってみるという人々とは違うという精神が常にある。
それ故に、これから多くのサイクリング愛好者の中に、自らの自転車機能を理解したいという繊細な気持ちがみられる。(中略)ツーリング用自転車には全レベルの要求を満たす、すなわち走者の可能性を計算し、不要な労力を省くという部品校正が必要である。労力を要するサイクリングを成し遂げるために変速に伴う小さな雑音(すなわちまさつと労力消耗)にも特殊な配慮が要る。

かなり仰々しい訳文?なのかもしれませんが、フラッグシップとしてのカンパの自信が現れている文章ですね。1年後の1984年、シマノからインデックス機能がいよいよ登場し、ここからカンパ VS シマノの競争時代に入っていく訳です。


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中津峡から八丁峠、小鹿野へ(サイクルツーリングの記憶)

今回の「サイクルツーリングの記憶」は、季節外れとなってしまいましたが、紅葉の秩父路です。それでは・・・、


【 年月日 】 2002年10月末
【 ルート 】 秩父鉄道三峰口駅−R140−r210−金山志賀坂林道(八丁隧道)−R299−小鹿野(小鹿神社/一本杉峠/秋葉神社)−西武秩父駅
【走行距離】 約87キロ
【 車 種 】 ランドナー


朝の8時に秩父鉄道の三峰口駅に到着。ホームで吐く息は既に白い。指切りグローブの指先に冷たさを感じながら、体をほぐすようにゆっくりペダルを回す。
駅前からR140を進む。滝沢ダム建設中のためか大型ダンプが多い。雷電廿六木橋(らいでんとどろきばし)のループ橋を渡り、r210に進むと、この状態が更に酷くなる。1車線の道をクラクションを鳴らしながら大型ダンプがひっきりなしにすれ違う為、こちらはその隙間をぬって走り抜けるしかない。
しかし工事現場を過ぎてからは大型ダンプの姿は見えなくなり、ようやく落ち着いた。
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中津峡は絶壁が続くダイナミックな渓谷美が楽しめると言われている。
「新編武蔵風土記稿」によれば、「両岸は断崖絶壁にして、進退ここに極まるような所もあり、見上げても太陽さえ見えないほど谷は深い。(中略)他の山国は知らず、秩父郡第一の難所なり」と記されているほどだ(※1)。現在でもその谷深さは実感出来る。

中津峡で充分に紅葉を味わった後、小倉沢にあるニッチツの鉱山集落へ入る。
現役の鉱山である一方で、廃校になった小学校跡や、多数の崩れそうな廃屋などが見られ、その場所だけ時間が止まっているようだ。けれども古くは武田氏の金鉱採掘にはじまり、戦前の活性期には、商店や病院、ダンスホールまで存在した鉱山街だった(※2)。
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集落の端から金山志賀坂林道が始まる(写真)。道も狭くなり、いよいよ林道の風景だ。
途中、梯子の掛かった八丁峠への峠道入り口がある。その峠道の距離は八丁(約872m)にして峠名の由来になっている(※3)。

ひとしきり上った後、ようやく八丁隧道(写真)に到着する。時刻は12時丁度だ。
このトンネルは、明かりが全く無い中を約900m走り抜けるため結構怖い。ライトを点灯させて吸い込まれるように中へ。
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トンネルを抜けるとご覧の展望だ。
中津峡側は絶壁で展望が望めなかっただけに、この眺めはとても嬉しい。

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写真は下りの一コマ(自転車の向きが反対です)。
景色の良い中を、気持ちよく飛ばす。

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秩父への帰り道で5万図を眺めると、途中の小鹿野に「一本杉峠」、「団子坂峠」という2つの峠が並んでいたので、寄ってみることにする。
かつて困民党が終結したいう小鹿神社の脇から静かな小道を進むと、「四季の道・小鹿野」というハイキングコースに入る。(地図は小鹿野町観光協会のサイト様を御覧下さい。)残念ながら現地のコース図には峠の場所は記載しておらず、見当をつけながら急勾配の坂を押し上っていくしかない。

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上りの途中で赤い鳥居の近くに寄ると、そこから一本の大きな杉の木が見えた。「一本杉峠」の杉の木だ(写真)。木の根元には小さな祠もある。この木はきっと、峠の神様なんだろうなぁ・・・。
今度は東に上り、秋葉神社にたどり着く。「団子坂峠」は更に東へ進むと思われるが、道が険しいため諦める。いったん引き返して別のルートから探索を試みるも、結局分からなかった。

落ち葉を踏みしめ、タイヤを泥だらけにしながらR299へ復帰する。
小鹿野から最後のひと山を越えて、西武秩父駅には15時過ぎに到着した。


(参考文献)
(※1)「秩父の峠」(大久根茂著 さきたま出版会 1988年)
(※2)「山村と峠道」(飯野頼治著 エンタプライズ 1990年)
(※3)「日本山岳ルーツ大辞典」(竹書房 1997年)


埼玉県は秩父・奥武蔵と峠が多く、自転車で走るにも徒歩で歩くのも、好条件です。
電車も東京都心から出ており、輪行にも最適です。
是非、埼玉県へサイクリングでお越しください!