2015年 12月 の投稿一覧

埼玉・子の権現様と周辺の峠(サイクルツーリングの記憶)

「子(ね)の権現様」は、足腰の守護と言われており、サイクリストにはぴったりのお寺です。今回は奥武蔵、次回は五日市の子の権現様と各地にあるようですね。
という訳で、権現様に参拝後、付近の峠も一緒にパスハンティングすることにした訳です。果たして御利益の程は・・・。


【 年月日 】 2002年10月
【 ルート 】 西武鉄道 吾野駅−R299−吾野・飛村林道−栃屋谷林道−権五郎神社−並沢−双沢林道−子の権現様−子の山林道−天目指峠−原市場名栗林道−仁田山峠−r350−倉掛峠−r70−西武鉄道 飯能駅
【 車 種 】 ランドナー

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西武線吾野駅を午前9時過ぎに出発。
高麗川に沿ってR299を東に進み、西武線の高架を潜りENEOSのガソリンスタンドを通り過ぎると、右手の川に掛かる南天神橋という小さな橋が現れる。そしてこの橋を渡るとすぐに、林道「吾野・飛村線」の入り口があった(写真)。
入口の民家を過ぎると、いきなりの急坂だ。地図からして予想通りだが、朝一番の上り、それも体が慣れる前の激しい運動の為、早くも心臓がバクバクだ。暫く地面に座り込み、水分を補給しながら呼吸を整える。 
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上りきったあとは飛村のT字路に向けて一旦下る。
そのT字路は右折し、林道「栃屋谷線」に入る。再度の上りだ。
そして林道上のピークに到着(写真)。覚悟はしたが、やぱりキツい。休憩がてらに付近をウロウロしていたら、道から外れた右手に祠を見かける。名も無き峠だろうか?
続いて栃屋谷方面へ向けて下るとY字路にぶつかる。ここでようやく「子の権現・あと4キロ」の案内板がある。
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Y字路には、赤い鳥居の権五郎神社がある。平安末期の保元の乱に登場する片目の武将、鎌倉権五郎景政を祀っているそうだ。(※1)。

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静かに佇む集落の坂道をゆっくり上る。
実はこの道が権現様の本参道で、大正時代には縁日では参拝者で大変な賑わいをみせ、茶店も道に並んだという(※1)。

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並沢のY字まで来れば、分岐を右折して林道「双沢(ならびさわ)線」に入る(写真)。あと1.5kmの表示あり。ここから又もや急坂だ。

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杉林に囲まれた静かな坂道を息を切らしながら一心不乱に上っていると、上の方から鐘の音が聞こえてくる。荘厳な響きが何とも心地よい。目的地まであと少しだ。
更に上っていくと「残り300m・急坂あり」の案内板がある。急坂って、今までのは急坂じゃないの?とブツブツ言いながら進むと、ごらんの通りの”激”坂だ。上っていく軽自動車が本当に大丈夫か心配して見ていたほどだ。

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やっと権現様に到着。門の手前に自転車を停めて、2体の仁王様が控える中を本堂に向かう。
平成14年第19号の「子の権現」誌によると、お寺に水道は通っておらず、湧き水を溜め、それをポンプで汲み上げているそうだ。風呂や洗濯等には雨水を利用しているとのこと。山寺ゆえの大変な生活だ。

ところで「子の権現様」は、正式名称を大鱗山雲洞院天竜寺と言う。天長9年(832年)、神々から剣を口の中に突き通された夢をみて懐妊した紀伊国の阿字女という処女から、子年子月子日子刻に誕生した子ノ聖が、東北の羽黒山から聖地も求めて般若経を投げたらこの地に落ちた。その聖光を頼りに当地を踏むが、寝ている隙に悪鬼の火攻めにあって腰から下に火傷を負ってしまう。その時、瞑目して祈念すると、突然天竜が現れ、雨を降らして猛火を消してくれたそうだ。それ以来、腰から下の病気に霊験があるという(※1)。
ちなみに、修行中の身でありながら、通りがかった美しい女性と恋に落ちて、その女性と焚き火をした時に、火が野原に移ったのを気がつかずに火傷を負ったと言う話もある(※2)。やはり火遊びはホドホドに。(^^;

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写真は境内にて。左は昭和38年に奉納された重さ2トンの大きな草履だ。奥には赤と白の下駄もある。そして写真右は本堂。「どうぞ健脚になりますように。」
本堂の裏手の小さな丘には鐘がある。先ほど聞こえた鐘の音は、この鐘だったのかもしれない。その後、境内でお守り2つと、参道に1件だけある茶屋でキーホルダーを購入。計1500円也。

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参拝も無事終り、次は天目指峠を目指す。
林道「子の山」線」で上久通まで一気に下る。そして今度は天目指峠へ向けて再び上り返す。もう疲れて足も回らず、押しの多用だ。
写真はその天目指峠。峠には開削記念の銘板がある。旧峠は西の高畑山方面に少し入ったところにあるようだが、残念ながら現地では確認しなかった。

ところで、「天目指峠」の命名の由来はご想像つきますか?名前からして古代の天女伝説でもありそうな感じだが、峠の案内板を要約すると以下のとおりだ。”天目”はこの付近の方言でアマメ、豆柿を意味し、この辺りは柿が非常に豊富だった。また”指”とは、山を焼いてその後に種を蒔く焼畑のこと。やはり当て字だったのだ。

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天目指峠を下り、名栗湖手前を東に左折して林道「原市場名栗線」の上りへ。
まだ緑の景色だが、秋の気配がどことなく感じらる。

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名栗村と飯能市の境界線上にある、切り通しの仁田山峠に到着。「ニタ山」とは湿地帯にある山の意味だろうか?峠の杉の木に大きな藤が巻きついていたので、藤巻峠とも呼ばれたそうだ(※2)。また、道路脇に木の鳥居がある。この山の遥拝所だろうか?

峠からは更に上りが続く。そして上り返しも多いので、とうとう足が痙攣してしまう。先ほど権現様で足腰守護のお守りを買ったのに(;^_^A

さて、いよいよ残る峠もあと1つだ。
林道を下ってr350に合流する。飯能へ向けて下っていると、道路脇右手の草むらに何やらガサゴソ動く気配が。最初は犬かと思い段々近づいて行くと、それは何と野生の鹿だ。慌てて写真を撮ろうとするが、あっという間に山肌を駆け上がって消えて行った。
まさか車も頻繁に通るこんな道で鹿を見るなんて・・・。目の前を通り過ぎる車をよそに、一人で興奮した。

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入間川方面へ軽く上り返せば、すぐに倉掛峠だ。
地元の方のお買い物自転車も通る、こちらも綺麗な切り通しの峠だ。少し下ったところに峠の開削工事記念碑もある。

これで今回の目的はすべて終了。あとは飯能駅まで緩やかに下って行くだけだ。
途中の入間川沿いでは、ちょっとしたダートを楽しむ。15時に駅に到着した。

東京は五日市の「子の権現様」にも訪問しております。
その記憶はこちらです!


(参考文献)
(※1)「秩父奥武蔵 山と伝説の旅」(神山弘著 金曜堂出版 1985年)
(※2)「増補ものがたり奥武蔵」(神山弘、新井良輔著 金曜堂出版 1984年)

自転車パーツ「カンパニョーロ50周年」を買取させて頂きました。

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栃木県のお客様よりカンパ50周年モデルをお売り頂きました。
有難うございました。
写真の通り、銀バッジがやはり良いですね。創業が1933年ですから、この記念モデルが発売されたのが1983年、奇しくも創業者のトゥーリョ・カンパニョーロが逝去したのと同じ年でした。
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その時代のカンパのカタログがありましたので、掲載してみました(クリックで拡大します)。
その内、ツーリングモデルの紹介文がなかなかでしたので引用してみましょう。

スポーツツーリングを行うということは、プロレスに勝つということと同じことではないのは明らかである。しかしながら、自転車スポーツ愛好者には共に走るパートナーと競うという気持ちと、小春日和だけ自転車で走ってみるという人々とは違うという精神が常にある。
それ故に、これから多くのサイクリング愛好者の中に、自らの自転車機能を理解したいという繊細な気持ちがみられる。(中略)ツーリング用自転車には全レベルの要求を満たす、すなわち走者の可能性を計算し、不要な労力を省くという部品校正が必要である。労力を要するサイクリングを成し遂げるために変速に伴う小さな雑音(すなわちまさつと労力消耗)にも特殊な配慮が要る。

かなり仰々しい訳文?なのかもしれませんが、フラッグシップとしてのカンパの自信が現れている文章ですね。1年後の1984年、シマノからインデックス機能がいよいよ登場し、ここからカンパ VS シマノの競争時代に入っていく訳です。


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